「闘病日記 下」から少し抜粋しよう。
昭和四十年一月三日
昨日の朝、自分は「表現者ではないというようなことを書いた気がするが、それは間違い、というよりも極端な書き方だった。「これはイケマス」と、なんでも小説に書く当世風の小説書き、これを私は表現者と名づけたのだ。自己から発したものでなければ書けぬ、書かない・・・あるいは、外部の客観的要求と自己の内部的要求に全き一致からのみ書く、こう言う作家を私は頭においていたので、それにしても、作家はアーチストであるとともに,アルチザンでなければならぬという考えは、前からいつも書いていた。このアルチザンとは小説技巧を「頭」でなく「腕」で理解している者、「腕」で書き「頭」で書くのではない、いい意味の「職人」の意である。アルチザンであるようにと私は心がけてきた。
全くそうなのだ。絵の場合も同じであると思った。描かねばならないものは必ず描き、描かなくともよいものを描くくらいなら酒でも喰らっていた方がましである。そして描き始めたら肉体で描くのだとぼくも昔から考えてきた。それでぼくは自分を肉体派と呼べるようになりたかった。だがそのためには絵の修行がどこまでも必要である。あくまでもデッサン力がものをいうのだと思うのだった。それはまだまだ不足だ。だが日本の絵の世界にはアーチスト不在、アルチザンしかいないのである。
高見順の死後アカハタでかかれた文章にこんなのがあった。
「高見順は死ぬ前に日本共産党に入党して死にたかったと書いている」
正確な引用ではないがこれは日共の我田引水である。
同日の日記で
「今日の日本共産党には私は共鳴も同感ももてない。日本の共産党だけではない。ソヴェートも、いやだ。共産革命は芸術家のためにあるのではない。そうは分っていても,あの「人間」を無視したような「政治」は私には、耐えがたい。」
と書いている。
これで疑問が解けた。高見順ならこう書かねばならないように書いているのである。
「死ぬ前に、入党して、共産主義者として死のうかな、などと考えているのでもない。」
こうまで言っている。
ついでにもう少し引用しよう。これは重要な一節である。
「同時代に生きて、この時代にもっともふさわしい、かかる苦しみ(注 共産主義に触れる苦しみ)を知らずにすごせた一生は、外見はたとえ平穏で仕合せでも、真にこの時代の苦しみを知らずに過ごした不幸から免れない。」
「真にこの時代の苦しみを知らないことが不幸である」というのである。そんな「不幸な作家」がゴマンといる。