ガリア女
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倦む日々にふと思う
「こんなことがあったら、いいのにな」
を冷凍保存した現代七篇。
=======【内容紹介】=======
「ある日、女が車に轢かれました」
朝の横断歩道で轢死した女、偶然出逢った轢死女の最期の恋人になろうと願った男。一瞬の出逢いと別れを描く、道路交通喜劇。
「市民プールの人魚」
市民プールに人魚を求めたわけじゃない。人魚が夢で、人妻が現だっただけ。一人で泳ぐことを許されない時代に、たった一つの泳法をかたくなに守り続けた男の戦記。
「自転車売春」
四十がらみの女は巧みなペダルさばきで自転車を押し倒し、娘の躰を売りさばく。脚を崩した女児の膝がもぎたての蜜柑のように輝き、「結婚」と称された自転車稼業は法の網目をくぐりぬけていく。
「不老不死」
ミソジニーの主題は不老不死を否定する。自らを死ぬ生き物だと覚悟した時に、人はミソジニーに変わる。では五百年もの間、死と対面し続けた男はどんなミソジニーを奏でるのだろうか。
「性病とその根絶」
泌尿器科で診察を待つ男の脳裏によぎるのは、彼氏とのデートの待ち合わせ時間で自室に連れ込んだ女子高生との爛れるような関係。物語の全てを女医が持っていく掌編。
「神経膠腫」
文化祭で出会うのは保護者や先輩だけではない。先輩は女を連れてきて、後輩は勃起する。別の先輩は大学を中退したとの情報も入る。すると先輩の女は寝盗らざるをえず、大学を中退した先輩は観察しに行かざるをえない。老年期を生きる男子高校生のとある視点。
「バスの来ないバス停留所」
経路から見放されたために、決してバスの来ないバス停留所で何かを待っている老人達と「私」の心の交流、そして「私」と看護婦の躯の交流を描く閉じられた一篇。
―― 誰もが正気でいられないはずなのに、なんとか正気を保っているこの世間で、あの家だけは確かにあそこに存在している。どうか君も場所を覚えておいてほしい。そこは市民プールの帰り道にある、お稲荷さんの裏だ。(「自転車売春」より)