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福沢諭吉の「脱亜論」と<アジア蔑視>観 (常葉叢書)

価格: ¥0
カテゴリ: Kindle版
ブランド: 常葉書房
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福沢諭吉の「脱亜論」は、アジア蔑視の侵略論ではありません。

福沢は朝鮮の独立を望み、金玉均ら独立党を支援していました。その時期の福沢
に、《彼ら朝鮮の報国の士を利用することでそこを日本の植民地にしてやろう》などと
いう様子はみじんも感じられないのです。

福沢は東アジアに日本と同じタイプの独立した文明国を欲していましたが、そこに植
民地を望んでいたわけではなかったのです。そしてその夢がついえてしまったとき、
福沢は落胆のあまり《もはや友人であることを望まない》という「脱亜論」を書いたの
でした。

左翼的思想をもつ人々は「脱亜論」執筆の動機を福沢のアジア蔑視と西洋崇拝に求
めてきました。私はそのいずれもが間違いであると思います。確かに福沢は西洋的
価値観を尊重していましたが、その理想をアジアにおいて裏切っている他ならぬ西
欧の文明国への批判をけっして弱めることはなかったからです。

福沢にとって目的とすべき西洋文明は、現実の西洋の文明のことではなく、自由や
向上心の尊重や個人を守るものとしての国民国家の概念など、文明そのものの理
想とでもいうべきものであったのです。それらを損なおうとするものはたとえ誰であろ
うとも悪いのであって、人種や民族によってその基準は変動しないのです。


すなわち清国やベトナムに戦争を仕掛けたイギリスやフランス、また国民自体の期
待に反していた日本の封建時代や李氏朝鮮の政府は、同じ基準によって《悪》とさ
れたのでした。「脱亜論」は、西洋の視点からアジアを蔑視したものではなく、むしろ
西洋諸国を批判したのと同じ目でアジアを評定したものといえましょう。


それが結果として当時のアジアの諸国を酷評したものと映るとしても、それを単純に
蔑視などと捉えることはできないのです。


目次

一 『時事新報』社説としての「脱亜論」
二 「脱亜論」明治一八年(一八八五)三月一六日掲載
三 「脱亜論」を書いたのは誰か
四 「脱亜論」批判の不当性について(その一)
五 「脱亜論」批判の不当性について(その二)
六 「脱亜論」は朝鮮の甲申政変後の情勢を前提に書かれている
七 「朝鮮独立党の処刑(前編)」明治一八年(一八八五)二月二三日掲載
八 「朝鮮独立党の処刑(後編)」明治一八年(一八八五)二月二六日掲載
九 「脱亜論」は「朝鮮独立党の処刑(後編)」を下敷として書かれている
十 支那人・朝鮮人とは誰か
十一 「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」明治一八年八月一三日掲載
十二 批判と蔑視の違いについて
十三 「脱亜論」はアジア蔑視ではなく、清国・朝鮮両政府批判である
「脱亜論」紹介年表