聖なる仏門の扉が開く
★★★★☆
人間が「宗教」に生きることにおいて中立的であることの不可能性を強く自覚し、あくまでも仏教者の立場から宗教の現象と本質についての講義をするシリーズ(全五巻で完結するとのこと)、その第一段である。
中沢新一のカイエ・ソバージュの講義と類似した企画だが、まあ、良くも悪くも、中沢のしゃべりよりは落ち着いている。インド学・仏教学の大家による安心のできる宗教(人類)学的なエッセイ、といった感じで、この第一巻では少なくとも、それほど新奇な事実も理屈も語られていないと思う。全体に、「イントロ」っぽすぎた…。ただ、立川氏のパッション(ヒンドゥー教やタントリズムの濃厚な儀礼など)とロジック(竜樹の中論思想など)の二面性のおもしろさは、これ以降の巻で存分に発揮されることだろう。その片鱗はこの巻でも垣間見ることができる。
「聖と俗」という、近代宗教学の基本的な概念をめぐっての議論が本書のポイント。昨今、この用語をめぐる思想史的な研究をふまえて、その乱用に歯止めをかけようとする動きが学界の一部にあるので、本書での超時代的・地域的な使用には少し違和感を覚えるが(「宗教」概念の留保なき適用ぶりにもやはり違和感)、その辺はあまり深く考えないのが無難だろう。人間が非日常的な事象に対して、畏怖の念を抱くという経験の意義とは何か。個人的にであれ集団的にであれ、超越的な救済や利益を求めてふるまうのは何ゆえか。その理由の根源に迫る語りの熱さは信頼できる。