アルキメデスを知る
★★★★☆
三大数学者と呼ばれる人物ですが、ニュートンやガウスより年代的に相当隔たりがあるため、その業績についてはあまり知られていないと感じます。アルキメデスとはどのような事を行ったのか?アルキメデスの写本は長い歴史の中でどう翻弄されたのか?目視では読めない写本を解読する方法はあるのか?等、読者の感心を惹き立て、納得のいく説明を試みています。ハイテクの大企業でも使えないような最新科学(加速器)と専門家の高い学識を武器に格闘する姿は、彼等のアルキメデスに対する関心の高さと情熱を表しています。また、アルキメデスの幾つかの業績の内、放物線の面積を求める方法が紹介されていますが、それは天才の証であり、読者の度肝を抜くものです。この解説を読むだけでも価値があると思います。
息のあったダブルス
★★★★★
パリンプセスト
palin(再) psan(こする)
というギリシア語から派生したこの言葉は、まさに文字通り「リサイクル」本であった。
かつてはアルキメデスの理論を解説してあった本の羊皮紙から記してあったものを削り取り、そこにキリスト教の祈祷文が書かれ、「再利用本」として保管してあったのである。
しかしそれを21世紀の英知が見逃す筈もなく、あらゆるハイテクが用いられ、アルキメデスの思考が改めて読み解かれていく。まさにスリルとサスペンス、飽きさせない記述が凄い。
特に素晴らしいと思われるのが、共著者のコンビネーションである。ウィリアム・ノエルは古文書を専門に扱う学芸員、彼は当初「アルキメデスとピタゴラスの区別もつかない」(ネッツの記述による)人物だったが、古文書修復のために各地を飛び歩いて最新の技術を求め、それをいかにも学芸員らしい好奇心に溢れた、しかも客観的なタッチで描写していく。
対するリヴィエル・ネッツは数学史とギリシア語を専門としており、彼にとってアルキメデスはまさに全能のヒーローだ。少年のような憧れと純粋な情熱と驚きをもって、少しずつ稀代の天才の業績に迫っていく様は、思わず顔がほころんでしまうほどに純粋で美しい。
この二人によって、アルキメデスという人物が、20世紀までに考えられていたよりも遥かに奥深い理論を極めていたことが(しかもそれをゲームのように遊び心で探求していたことが)証明されたのだった。
また巻末にはこのプロジェクトに関わった斉藤憲氏のあとがきが掲載されている。
とてもわかりやすい筆致で概略をしめしてあり、改めてこのホンの凄さを認識できた。
たまにはこういう本もいいものです。
ドラマチックな本
★★★★★
アルキメデスは、「歴史上<<最も偉大な>>数学者3人だけをあげよ」と質問されたら、その答えのリストに必ず含められる数学者だと言われる。(E・Tベル著 「数学をつくった人びと」)
微積分学、幾何学、組み合わせ論の分野におけるアルキメデスの貢献について知ることができる。
他のレビューで書かれているように、興味深い点がいろいろ盛り沢山の本だ。
それらに加えて、ギリシャ数学における独特の図の使い方が書かれていたことが興味深かった。
ギリシャ数学では、具体的な図形ではなく、むしろ概念図を用いることによって精密な推論を行った。
たとえば、多角形の辺を直線ではなく曲線で描く幾何学など、これまで一度も教えられたことがなく、考えついたこともない。
“斬新な”幾何学に出会ってドキドキした。
もう一つは、ストマキオンについて。
ストマキオンとは、14片のピースを正方形に並べるゲームで1万7152通りの正解がある。
アルキメデスが取り組んだストマキオンは、最近のパズルゲームより高度で、自力で一つでも発見するのはひどく大変そうだ。
(p359にビル・カトラーのプログラムによる、ストマキオンの72例の正解が9行8列の表に並べて印刷されています。
上から3行目、左から2列目に置かれた“正解”には15片のピースがあることを発見しました。ミスプリントでしょうね。^^ )
ためらっているひまなんかありません
★★★★★
くそボロッちくて(たぶん)臭い、小さなしわしわの「もうどうしようもない」カビまみれの本をめぐるいくつもの物語。莫大な金をポンと出して本を買い取る人の話、本を書いた本人の話、それを解読する人たちの話、この本をここまで無茶苦茶にしてしまった人たちの話、本が発見されるまでの話、幸運に恵まれずに失われてしまった無数の本の話
目の前に幸運がころころ転がってきて、そのまま通り過ぎようとしているとき、人間にはためらっているひまなどないのです。
人の考えが伝わる不思議さ、書物の運命の不思議さに思いを馳せる
★★★★☆
700年以上前に作られた「アルキメデスC写本」の解読を託された学芸員と、古代数学史家が解読の過程を明かしたドキュメンタリーです。
アルキメデスが原本を書いたのは紀元前3世紀。大切に書写され後世に伝えられましたが、1204年の十字軍によるコンスタンティノープルの破壊により、多くの古典とともにアルキメデス写本も散逸してしまいました。
AとBの写本はイタリアに流れ着いてギリシャ語からラテン語に翻訳されましたが、一部内容の異なるC写本はルネッサンス期にも読まれた形跡がありません。
というのも、C写本はバラバラに解体され、再利用されてしまったからです。羊皮紙の表面を再加工したあと半分に切断し、キリスト教の祈祷文が上書きされていきます。
祈祷書となった写本は、エルサレム近くの修道院で19世紀まで使われ、20世紀のはじめにコンスタンチノープルで“発見”されます。
文献学者が薄くなった文字を解読して学術誌で発表したあと、第一次世界大戦の混乱のさなかにC写本は再び姿を消しました。
ニューヨークのオークションで再び世の中に姿を現わすまでの写本の流離譚は、破壊の魔の手から逃れるサスペンスドラマのようにスリルに満ちています。
古代数学史家が明かしてくれる解読の過程や、アルキメデスについての新たな発見の意味も、興味深いものでした。
久しぶりに「この先、どうなるんだろう」とドキドキしながら本を読みました。
ページをめくるのがもどかしく感じられる、という点では歴史ミステリー『ダ・ヴィンチ・コード』にも負けていません。
これほどワクワクさせてくれるのは、やはり歴史上の人物が書いたという事実の重みのおかげでしょう。
古代史や数学に関心のない人でも、人の考えが伝わる不思議さ、書物の運命の不思議さに思いを馳せるに違いありません。
本好きにはたまらない一冊です。