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再生産 〔教育・社会・文化〕 (ブルデュー・ライブラリー)

価格: ¥3,885
カテゴリ: 単行本
ブランド: 藤原書店
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支配階層の意に適う再生産を受け持つ教育制度 ★★★★★
 1970年に発表された、フランスの社会学者ピエール・ブルデューによる教育分析。支配階層から権威を保証された学校が、如何にして支配階層が望む形で社会階級を保存するのかを、独特のハビトゥス論で明らかにしていく。

 この著作を入手してから何度も読み解こうとしてそのつど失敗し続けてきたのだが、カントの三大批判書とレヴィ=ストロースの「野生の思考」を読み込んでから挑戦したら、何とか意味が分かりはじめてきた。ブルデューがここで始めて具体化したとされる「ハビトゥス」は、「野生の思考」でレヴィ=ストロースとサルトルが対立していた論点から止揚されてきた概念であることが分かってきたからだ。この書物でのブルデューの論考は基本的にレヴィ=ストロースが「野生の思考」で用いた手法に似ていて、その手法をさらに一歩進めたのがここでの論理展開なのだと思う。「野生の思考」では既にプラクティスとプラチックの違いについての言及もあり、もしかしたらサルトルの「弁証法的理性批判」にも同じ用語が用いられているのかもしれない。とにかく、手法においては先人との連続性が想起され、そこを踏まえると分かりやすさも増すのではないか。

 内容については第一部と第二部に分かれていて、第一部は番号を付されて箇条ごとに短い説明が付されている構成なので、教育についての具体的事項を常に頭に思い浮かべないと全く意味が分からないと思う。自分も、きちんと意味を捉えきれたとは到底言えないのが事実だ。

 第二部はうって変わって、比較的意味を捉えることのできる首尾一貫した論述形式になっている。分析の対象は一貫してフランスにおける教育制度なのだが、今の日本の状況を考えてみると、例えば十年前に読むよりも格段に理解しやすい内容になっている。

 それぞれ「文化資本と教育的コミュニケーション」「教養人的伝統と社会の自己保存」「排除と選別」「独立による従属」と名づけられた章立てで、一貫しているのは支配階層の意に適った社会的・経済的・文化的再生産の装置としての学校教育が如何にして自らの行う社会的排除・選別を隠蔽し、自らの役割をも隠蔽しているかを浮かび上がらせようとする著者の態度だ。その開展を可能とするのがハビトゥスへの着目で、構造(プラクティス)自体を作り出し、普段の行動(プラチック)をも規定し、両者を機能させる動因として述べられている。ソフトな支配を自然に見せる重層的な効き目を持っていて、人生への機会を剥奪された人々に剥奪された痕跡をも気づかせないほど排除と選別の事実を曖昧にしてしまう機構、ハビトゥス。そんなハビトゥスを作用させることのできるのは、文化資本を排他的に握っている支配階級だという。

 読み続けていくと、ここで述べられている仕組みは多方面に見受けられる気持ちの悪い言説の源泉としても読み解けることに気づく。ある種の人たちにアピールする権力者や知識人の発言意図を曖昧にしたままの断言、TV番組やCMが押し付ける倫理、中田英寿以来はびこったスポーツ選手やタレントの「語録」などは、ハビトゥスのはたらきとしてみると非常に理解しやすい。別の例を挙げれば、そんな類の気持ちの悪さに対する不快感を表明したローリング・ストーンズの「サティスファクション」が気持ちの悪いカヴァーででCMソングに回収されていくような仕組みを思い浮かべてみれば分かりやすいかもしれない。日本における教え込み効果は、こんなところで強力なのではと思う。

 ここで排除された人たちについての生き方については、例えばポール・ウィリスの「ハマータウンの野郎ども」で捉えられている。併せて読めばよりこの著作が包括的に理解できると思う。
ブルデューの社会階層の集大成 ★★★★★
ブルデューの社会階層シリーズのものである。今まで、ここで紹介したブルデューの翻訳物で一番モデルがしっかりしている。個人あるいは家族単位で見たとき、どの社会階層に属していくのか、そして固定化されていくのかを説明している。
1部は、社会階層に編入されていく過程をモデル化し説明している。この部分は高度に抽象化されているために、ここだけを読んでも何のことか分からない。
そこにおいては、小学校における教育から既に社会階層の慣習化するような暗黙的な教育すなわちハビトゥスが生成していく。そして家族における社会的地位と学校での教育で、その習慣のギャップあるいは一致を解釈し、次の学校への進学先を選択する上で重要な意思決定要因としている。
あくまでも、ブルデューの理論はフランス国内の話であり、それに基づく階層社会を決定づける教育制度が固定化されているために、このようなはっきりとした形での社会階層ができあがるのであろう。日本の場合は、高校、大学の数が世界的に見て異常に多く、かつ進学に要する資格要件も非常に緩い。更に、日本の場合は儒教的色彩が強いために、親からの進学を進める態度も高いことが起因していると思われる。
2部では、やや具体化して説明しようとしている。やはり、ここでも非常に難しく読むにはかなりの努力を要する。