他の作品との比較論が充実
★★★★☆
本書(平井謙『村上春樹の「1Q84 BOOK3」大研究』データハウス、2010年)はベストセラーとなった村上春樹の『1Q84 BOOK3』の研究本である。本書は5部構成となっている。
第I部「『1Q84』BOOK3を楽しむヒント」はBOOK1からの粗筋、読みどころの紹介である。
第II部「『1Q84』BOOK3で謎は解けたか」はBOOK1、BOOK2で残された謎が、BOOK3でどのように整理されたかを明らかにする。
第III部「『1Q84』BOOK1‐BOOK3解読のバリュエーション」は幾つかのテーマから『1Q84 BOOK3』を論じている。
第IV部「『1Q84』BOOK1‐BOOK3と春樹ワールド」は特定のテーマについての過去の村上春樹作品との比較論である。
第V部「『1Q84』BOOK1‐BOOK3からの眼差し‐比較で読む『1Q84』」は他の作品との比較論である。
本書は研究本であるが、肝心の『1Q84 BOOK3』の考察はそれほど深くない。これは研究対象をBOOK3とする以上、仕方のない面がある。何故ならばBOOK3自体がBOOK1、BOOK2で投げかけられた謎を解明する解説書的な要素があるためである。また、BOOK1、BOOK2については、著者がメンバーの一人になっている村上春樹研究会『村上春樹の『1Q84』を読み解く』で考察済みである。
その代わり、本書は他の作品との比較論が充実している。『1Q84』の土台となったジョージ・オーウェルの『1984年』を比較対象とすることは当然であるが、興味深い点は『1Q84』の刊行前後の作品も俎上に載せたことである。
『1Q84』は川奈天吾の物語と青豆雅美の物語が交互に進む複線構造という特徴がある。さらにBOOK3では牛河利治の物語も展開する。この点に本書は『1Q84』の現代的特徴を見出す。実際、同時期に出版された宮本輝『骸骨ビルの庭』も複数のビル住人の話によって骸骨ビルをめぐる歴史が明らかにされる形態になっている。これらには「一人の声では語れない真実」「ざわめきの総体として形成されることでしか知りえない<現在>」という主題がある(241頁)。
ここから私はインターネットの世界で爆発的に普及したツイッターを想起した。単純にコミュニケーション・ツールとしての機能では、ツイッターはブログに劣る。それでも、ツイッターが支持された背景には一人の声だけで語られる内容よりも、ざわめきの総体として形成される内容の中に価値を見出す傾向があるからであろう。
その傾向が小説の世界でも分析されたことは驚きである。私小説というジャンルが示すように、私を描くことが伝統的な小説のテーマである。本書で『1Q84』との類比が言及されたセカイ系も自意識の物語という点でサブカルチャー分野の私小説的存在である。その物語のベースとなるべき個が現代文学では崩壊または分散する動きがある。
私小説にしてもセカイ系にしても社会的視点の欠如が伝統的な批判であった。しかし、個性を否定する集団主義的な日本社会では、個を確立するためには社会性の犠牲は止むを得ない選択であった。個の確立と社会性のトレードオフは『1Q84』も無縁ではない。BOOK3では天吾と青豆の物語が進展した代わりに前巻までに見られた社会的テーマ(教団やリトルピープルなど)は後退した。
『1Q84』を通読すると、現代文明批評と恋愛小説の間を揺れているとの印象を受ける。そこには「自意識の物語」(125頁)と「個の崩壊」(249頁)との緊張関係も影響していると感じられた。