教師:ヴォケーション(神に呼ばれし聖なる職)の人々を描いた書
★★★★☆
題材があまりに衝撃的に思えたので、読んでみた。ノンフィクションとしての出来不出来については言明しかねるが、情景描写が絵画的で映像を見せられている様に鮮烈な印象を受けた。著者はこの作品の表紙や綴じ込みの写真も自作されているそうであるが、心の眼も含めたあらゆる眼の様なものを以って著者なりの感性で焼き付け、一種独特な文章や、極めて訴求力の強い写真で構成されている。著者は決して難解な話を書いている訳ではなく、好奇や慈悲、憐憫あるいは恐怖といった、人間の本能を揺さぶる様な感覚を全編に絶妙に配していて一気に読み進ませる。現地での数回に渡る取材の大変さも著者の右往左往振りから手に取る様に判るし、「富める国」の私達日本人読者に対し、対極側から、ある意味勇気ある一日本人代表として、ナビゲーター、ストーリーテラー、フォトジャーナリスト、そしてルポライターと多角的なスタンスを取りつつ、この本を作り上げている。その功が労してか、本が売れないこの時代に版を重ね、多くの読者を獲得し、読者達にあたかも実際にこの本の世界を体感した様な読後感を与えるのに成功している様だ。
副題に「神に弄ばれる貧しき子供達」とあるが、この本の中の世界の神とは、一体誰の事を指しているのか。勿論、一等最初に彼等に命を与えた創造主であろうし、彼ら当人達にとっては彼等の身体を破壊し、服従させ完全に彼らの命運を掌握している非道なマフィアが実質的かつ絶対的な神なのである。彼等のドグマ(教義)は、マフィアに対する服従という唯一点のみであり、神に心酔する人間がしばしば陥る様に、時として狂信的な心理状態を呈したりもする。この子供達が利益の為に自分達を残忍に傷付け続けるマフィアを生きる為に慕い、正義感から生じる憤りをもって詰問する著者に対し、間違ったベクトルのパトス(情熱)を迸らせ庇う様に。
人間は生まれ出でてから、光を得、束縛から放たれると同時に生の実感を得るのであるが、この本の中の子供達は、同情心を煽って利益を上げる為、マフィアによって失明させられ、手足までも切られ、再び闇と束縛の世界に繋がれ、生命力を失ってしまう。「存在とは知覚される事」と説いたのは、イギリスの思想家バークレーであるが、私達日本人が仮に現地で彼ら傷付けられた子供達を目の当たりにした場合、どの様な態度を取るであろうか。多分に大抵の人は見なかった事にするのではないか。要するに存在しなかった事に。この本はマテリアリズム思想で育った若い世代の方々に、是非とも読んで貰いたい本である。決して現代怪奇譚の様に受け取るのではなく、登場人物達から生きた本物の死生観を教わる為に。
浅すぎる
★☆☆☆☆
感動のレベルをあえていえば、24時間テレビの類。ほかのレビューで、「解決への第一歩は正確な問題認識」と言ってる方もいるが、この安い小説調の主観的文章でどこが「正確」と呼べるのか不思議でならない……。
インド最貧困層の問題は、カースト制度とヒンズー教の歴史と切っても切り離せないが、そういいった重要問題の言及は皆無に等しい。唯一、見つけられたのは21pの「インドの農村では封建的な風習が根強く残っており、」の一言のみ。著者は書くにあたり、インドについて勉強不足ではないのか。書かずとも、知識とや情報、見識があれば、おのずと表現方法は変わってくるはずである。著者の言葉の力は非常に弱く感じられた。私的ノンフィクションとしては切り込みが浅い。
ではただの「描写」に徹したかといっても、描写自体、人工的すぎる。やたらとタイミングよく「老山羊がいやらしい四角い目を向けながら、しゃがれた声で鳴いた」「毒々しいまでの赤い花が一輪咲いている」「黄色い蝶が一羽、私たちの間を舞っていく」「籠の中の鳩が悲鳴を上げ、羽根を散らしながら羽ばたく」「数匹の蠅が行ったり来たりしている」等と生物が登場し、これまたワンパターンの“雰囲気作り”ばかりが目立つ。
また第一部では、ムンバイを訪れたのは「二〇〇二年の冬のことだった」とし、第二部では「二〇〇四年の夏」とある。それなのに「ムンバイを訪れたのは、約二年ぶりだった」と記し、乱暴感が否めない。しかも、第二部の冒頭、「二〇〇四年の夏、〜ムンバイに空路で降り立った。街は煮え街は煮え滾るような灼熱の夏を迎えていた。」とある。一体、著者はいつ、ムンバイに行ったのだろう? ムンバイの夏は8月ではない(ムンバイに行ったことのある者なら常識だろう。8月は雨期である)。表現をぼかしすぎである。
さらにいえば、帯に「執筆に10年をかけた渾身のノンフィクション」とあるが、発売は2010年。ということは2000年から著者は書き始めたのだろうか。2002年の取材分を?(笑)
とにかく、ノンフィクションとしてはそうしたところが雑すぎる。題材が極めて重厚なものであるのに、細部の作りが雑なため、……24時間テレビ感覚の浅い感銘で止まってしまう。感動した、感動したと言っている方は、感度がそのレベルなだけであって、多数派が感動したからと言って、そうでない人を「おかしい」と断じる材料にはならない。大衆向けの浅い読み物である。
題材は重いが、中身は薄っぺらい
★☆☆☆☆
あまりの失望に初めてレビューを書いてみる。
これは、取材を元にした小説、と見るべきなのだろうか。
帯にははっきりと「執筆に10年をかけた渾身のノンフィクション」と書いてある。
この帯自体がフィクションなんだろうか。
興味深い題材なだけに非常に残念な読後感。
題材は重いが、中身は薄っぺらい。
対象に深い洞察があるわけでもなく、かといって冷徹な客観性に基づく取材というわけでもない。
ディティールの拙さが、全体の話を作り物っぽくさせてしまっているように感じた。
他の方も書かれているが、著者の文章は、下手というより、テーマに対してとても安っぽい。
好みの問題もあるかもしれないが、通訳を介した取材でこのようなドラマチックな会話が成立するはずもなく、
またインド人達のとても日本人臭い語り口に、ただ不自然さを感じてしまう。
廃品回収の女が時計の時間を元に、マフィアの行動を言い当てたり(にもかかわらず物語の後半になると、”路上で生きる者は時間の感覚がないため、正確に何時とは断定できない”と説明したりしている)、
商売をしに来たと言い張る主人公に、マフィアがわざわざ商品が仕入れ値の何倍かを説明してあげたり、
(仕入れ値をばらしてしまうような愚かな者だからこそ、こういった商売に手を染めているということを表現したかったのだろうか…)
主人公がヒンディーを学んだからといって、通訳なしでもその子どもたち相手であれば一人でも言葉に不自由しないと断じたり、
(一体そのムンバイの子ども達は何語を話すのだろう、マラーティ、ヒンディー、英語? 流れてきた子たちなら、他の言葉が母語かもしれない。好意的に解釈すれば、彼らが生きるために汎用語としてヒンディーを学んでおり、拙いヒンディーしか彼らが使わないことを彼が理解し、彼の経験からそのぐらいの言葉であれば理解できると判断したのかもしれないが、それは彼らの母語ではないからでは? その程度で一体彼らの心情の何を理解出来るのか。子ども達の言語表現はコミュニティに属したニュアンスの割合も大きい。どの国へ行っても、子ども達の言葉はネイティブじゃなければ解するのは難しいと思うのだが…)
こういった細かな違和感は枚挙に暇がなく、物語のリアリティを失わせている。
また、主人公が呆れたり、憤ったりする行動にいまいち一貫性がなく、彼自身の半端な行動原理にも共感し難い。
(人間的な反応をするわりには、その反応が表面的で深みもない。またその結果考えた結論に、まるで重みも説得力もない。
”私はしばらく考え、金を払えば解決できるのではないか、と思った。” さんざん金で取材を進めておいて、一体全体、今更何を言ってるんだこの主人公は…)
スラムの子ども達も、悲劇の境遇は様々なのに、妙に画一的な性格。
これは本当に出会った子ども達なのだろうか?
いくつかの見聞きした事実をもとに、物語として再構成したというのが、
もっとも説得力のある背景な気がしてならない。
最初からフィクションとして読めば、もう少し印象も違ったのかもしれない。
ただ、フィクションとしてみても悲劇をショーケース化しているだけで、哲学も深みも感じられない。
(著者があえて何も提示せず、読者に考えさせる物語というのとは違う。
ならば明確な対象への距離感と客観性、事実のみを書き記す冷徹さが求められよう)
レビューを見て、厳正なルポタージュのようなものを期待して読んでしまっただけに、大いに失望した。
他のレビューが高評価なので、あえて反対意見として書いておこう。
興味深いテーマで釣って、表面だけの残酷さと陳腐な同情を売り物にする残念な物語。
空しい読後感は、決してムンバイという地の悲劇故ではなく、
悲劇を食い物にしているかのような、軽い文章故だと感じた。
グレーゾーンの貧困ビジネス
★★★☆☆
何とも胃の痛い思いをさせられる作品です。
『絶対貧困』の時は、冷静な距離を置いた観察眼や情報整理力によって、理性的な部分で世界の不均衡の実際を知らしめる良書だと思いました。
しかし、今回の著書は時系列の物語形式をとった話の中で、彼の立ち位置を疑問に感じました。
経済至上主義のルールの勝者が、金の力に物を言わせて行っている取材行動にも関らず、活動内容は情報収集の枠に留まっていません。
というのは生活者と巧みに感情的な結びつきを構築して、折々自分の正義感や価値観から無邪気に彼らをぶった切って行くような、残酷さが見えるからです。
確かに、それぞれの立場の心理模様を明らかにして行くことで、不可解な現実への理解の糸口を捕まえるのに成功しています。
一方対象となっている彼らは、自分の中の倫理観や色々な物と折り合いをつけながらも、生きて行かねばならない人たちであり、その段階で他の生き方を選ぶ余地のない人達を対象として、別の文化圏から黒船のように来場して自分の文化圏の常識を披露して彼らの秩序を乱し混乱に陥れているように見えます。
そういう意味に置いて著者と関わり何らかの恩恵を得て生活を変えることが出来た人間は、ガイド役をしていたマノージただ一人。
彼は、読者に別の世界の現実を見せることには成功していますが、その好奇心には目的が感じられず、不必要に対象に近づきすぎるがために、取材に対するマナーやプロ意識の欠如を感じさせます。
逆に、一般的な読者との視点の類似があるから、共感や賛同をえる物語となっているのでしょう。
結果だけを見れば自分を成功者にするためにニッチな情報源を選び、それがたまたま貧困であったという事なのかなと。
又、極論すれば、貧困者からの情報を得て個人的なビジネスを成功させる、これも一つの貧困ビジネスのよう。
その労力は賛称に値すると思いますが、直接的に手は下していないだけで生活者の誇りを搾取している、そういう嫌な読後感でした。
しかしながら、こういった情報がたくさん流れ、多くの人が知る事により世界を変える流れとなる。
そんな情報ソースの一つとして貴重な本である事に変わりはないと思います。
貧困が招く生き地獄
★★★★☆
物乞いが同情を集めるべくマフィアから子供をレンタル。
多くのレンタルされる子供達は路上生活からさらわれてきている。
子供達は同情を集めやすくするため、また、逃亡を防ぐために、マフィアによって失明させられたり、腕や足を切られたりする。
まさに生き伸びるために子供を利用した地獄絵図。
貧困社会の中にはこんな地獄の毎日を送っている層もいるのか、と驚愕した。
著者は長期に亘って取材を続けており、かなり詳細にこうした闇の仕組みを忠実に伝えている感じだった。
最貧民層の生活の過酷さを知るには良書である。
ただ、残念なのは著者の文章が下手な点だ。