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視点をずらす思考術 (講談社現代新書 1930)

価格: ¥735
カテゴリ: 新書
ブランド: 講談社
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世の中がズレているという啓蒙書。 ★★★★★
物事の本質を見極めるためには利害関係を越えて敢えて違う立場からのモノの見方を参考にすることは必要だ。
様々な角度からひとつの現象なりを見つめることでその本質が窺えるからだ。
その意味で本書は視点をずらした思考法ではなく、様々なモノの見方から本質を捉えようとするもので見方が変わっただけで視点という軸はずれ(ブレ)てはいない。
見方を変えるということは軸がずれそうだと思いがちだがそうではない。

仏教の話の中で「わからない」ことは否定的でないとする記述がある。
現代はなんでも短絡視(思考)してしまいがちな風潮がある。なんでも解読したがるのだ。
当然だろう。古来より人間は理解し難いものへの恐怖や不安をいつも抱えて生きてきた。
昨今の新自由主義にしても相手の文化を否定してなにがなんでも資本主義化(白人文化に)してしまおうということの末路であるようにもおもう。

本書では思考法がずれているのではなく、世の中のモノの見方が短絡的、単一指向(思考)であることに警鐘を慣らすものである。
物事の本来あるべき姿に少しでも近付こうとする思考法を確立しようと思えば参考になる書であることは確かだ。
KY!? ★★★★☆
著者曰く「僕はKYだからこそ、「タブー」をテーマにできた」そうですが、序文がまず面白い。今の世の中、もうちょっとKYな人が多くていいんじゃない?その通りで・・・

各所で発表された森氏の評論文(随筆?)集ですが、お手軽本と侮るなかれ。

「愛郷心」と「愛国心」は違う。「あの戦争は自存自衛の戦争だった」って・・・戦争は全部自存自衛なんだよ。ドキっとしました。

ビンラディンの「動機」を、「死と生とが等価になり時には反転するという信仰の際どい要素を最大限に援用しながら、世界を加工しようとした」と断じた「ビンラディンへの手紙」は秀逸。死への親和性は宗教の本質で重要な機能。であるがゆえに危険。

サラっと読めますが内容濃いですよ。
自分と自分の時間を見失わないために ★★★★★
 オウム事件報道騒動末期に、その渦中に入り込み、広報副部長の荒木氏とその周辺の取材を通して、日本のマスコミとそのマスコミを必要とし育てた日本人の姿を、映画『A』『A2』で表現した森達也氏のものの見方・考え方の例示集といった趣の一冊です。
 「ずれる」「ずらす」ことにより生まれる、豊かな思考を絶賛することも無く、淡々と例示することにより、多様さの心地よさが説得力を持ちえている。
 森達也は本書によって読者に、過剰とも思える発達をとげた放送産業(テレビ)が生み出した権力性に対峙する視点を与える。
 過剰な激流のようなメディアに囲まれた現代に、自分と自分の時間を見失わないために、森達也の視点は重要と思われる。
中高生や森初心者向き ★★★★☆
 右左を問わず、バッサリと対象を斬ってしまう小気味よさを売りにしている本は、読後もスッキリ感がある。
後から考えると、読者の鬱積した気持ちをガス抜きしているだけの場合もあるのだが。
 その点、森の文章は、論理に情緒が少なからず加味されており、それが対象に対しての躊躇につながり、スパッではなく、斬りながらも斬ってしまってよいのか?との自問の部分が現れ、私もそこに感情移入してしまう。
 本書は、森のそんな面が大きく出ている短文集だ。      
特に『ビンラディンへの手紙』に、それを強く感じた。
 決してブレがあるわけでも、世間からの圧力を避けているわけでもなく、むしろそれに立ち向かって生きていながら、剛でなく柔の印象を持たせる(意図はしていないだろうが)迷いのある文章は、つい新作を読まずにいられなくさせている。

 題名については、いささか強引な気もする。     HOW TOが書いてあるわけではないからだ。       何じゃこの題名?と思わずでもない。
視点のずらし方を書いた本ではなく、見方を変えてみようよ…という本 ★★★★☆
森達也には、最近なら「死刑」といった重いテーマに切り込んだ書籍があり、
「A」や「A2」などのドキュメンタリー作品、
また、「放送禁止歌」といった、彼の出世作(?)がある。

この本は、ある意味でタイトルに少し失敗していると思う。
書かれていることは「術」ではなく、
そういった作品を生んできた森自身が、いかに視点をずらしてきたかを書いたエッセイである。
だから誤解を招く。

自分は空気が読めない、KYだと彼は言う。
KYだから、変わったテーマにばかり興味を持ち、それにのめり込む……と。
私はこれはKYではないと思う。KYとは、場の雰囲気を読めないということであり、
異質のテーマに切り込むことではないと思うのだ。
だから、やたらと何度も自分はKYだと言っていること自体に違和感は覚える。
その意味では雑然とした、焦点の定まらない本である。
新書の悪い面が出ているともいえようか。

しかし一方で好意的に見るならば、
みんなと同じ視点でテーマを追うのではなく、ずらしてきたことで「森達也」がある、
ということを知る本でもある。
さらに言うと彼はずらしてきたのではなく、
そもそもみんなが同じように興味を持つことをスルーし、普通なら取り上げないだろ、
というテーマばかり選んできた。
それを、今の世情にひっかけて「自分はKYだ」と言っているのである。

評価の分かれる本ではあるだろう。しかし、森達也のアタマの構造の原点を知るためには、
充分な本とも言える。
手軽に読めるし文章も軽い。2時間もあれば読めるだろう。
読後、重いものや感動が残る本ではないが、
あの一風変わった作品を生み出してきたアタマの構造はこういうことか……と知る意味はある。
そう考えれば、森達也の作品を読む(観る)上では、ベースになる本だ。
森作品を読んで(観て)きた人には承知のことも多いが、読んで無駄にはならないと思う。