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世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい (ちくま文庫)

価格: ¥819
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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   著者の森達也は、オウム真理教の内側から外界を照射した問題作『A』や、放送禁止とされていた歌謡曲への規制の根拠が、メディアの幻想でしかなかったという事実を暴露した『放送禁止歌』などの映像作品で、現代社会のタブーに切り込んできたドキュメンタリー作家である。本書は、『A』の続編『A2』撮影の後日談や、アメリカ、シリアでの上映会の反響などを中心につづられたエッセイ集だ。時に不安定に揺れる筆致が、ルポルタージュのような緊張感を醸し出す、スリリングな1冊である。

   3章で構成される本書で、改めて浮き彫りとなるのは、社会に封殺されたものたちの生々しい姿だ。2001年9月の同時多発テロ事件以降のアメリカと、オウム事件以降の日本とを、アメリカでの『A』の上映会を通じて活写した第1章。放送禁止歌、小人プロレス、ベトナム最後の王位継承者クォン・デ、下山事件など、これまで著者が取り組んできたテーマを凝縮した第2章から第3章。メディアが忌避してきた被写体たちを、どうしてあなただけ撮影することができたのか、という問いに著者はこう答える。「周囲が停止していたからだ」と。

   結果として本書は、独自の世界観やメディア論を盛り込んだ、硬派な社会批評ともなっている。なかでも著者が熱を帯びて訴えるのは、私たち自身の抱え持っている矛盾や論理の破綻に、まったく無自覚であることの危険性である。そして、そのことが「他者への憎悪」だけを剥き出にしている現代日本の醜悪さにつながっていると説く。オウムという存在が、鏡に映った私たちの社会自身の姿であることを示唆した『A』と同様に、本書は、読み手に鋭い切っ先を突きつけている。(中島正敏)

他者とわれわれとあなた方と世間と世界 ★☆☆☆☆
冒頭では「多数派」が突然同窓会とイコールで結ばれる。ここでも理解されないことだけが強調され、どうやら理解されようという行為も行っていないし、「あなたがた」は決して変わらないという思いにとらわれているようだ。
次ページでも、一人でいられる時間を「皆」が作ったらという言葉がみえる。これも「われわれ」に対する「あなたがた」という規定になっている。森は自分の考えが「あなたがた」には通じないからという考えから離れられない。
あなたがた、われわれ、が決して「他者」にはならない世界理解の対象にならない世界。
少なくとも今森のいる世間(加藤や私など「から」見れば少なくとも大きな世界)では、複雑な手続きをえなくても日本にいる他者を対する理解をまったく行わなくても、文脈をまったくすっ飛ばした言葉を綴っても受け入れてくれる世間である。おそらく森たちだけはそうは思っていないだろうけど。
その点でいって、他者に対する言葉がほとんど完成、完結された森たちの世界(といってもそういう人たちでも飲み屋なんかになると「国家」なんかの住人たちと同じ言葉を吐いたりして驚いたりするんだけど)、あるいはその言葉の完成に向けて永続革命をしていられる世界は日本でもっとも豊かなぬるま湯だ。その方向に変えたい、他の人も巻き込みたいという努力は憎悪しか産まないということを学ばなかった森は、学ぶ前に活動していくのだろう。
個人的には森の家族が、森自身に巻き込まれたり憎悪したりしないことを祈るばかりだ。オウム的なものに厳しい眼差しを向け「オウムそのもの」に対して優しい眼差しを送る著者はやはりオウム的「なるもの」が大好きなんだろうなあ
そうなってくるとオウム的なるものは全て国家であると強弁したほうが、というよりその方法しか仲間の理解は得られまい。仲間を維持するための言葉というのもなかなか大変ではあるんだろうけれども
「リアルと現実」のあいだ ★☆☆☆☆
近年連載のリアル共同幻想論などで積極的に発言を続ける著者のエッセイ集です。
ちなみにリアル共同幻想論はかつて60年代盛んに読まれた吉本隆明の「共同幻想論」
をもとにしたと思われますが、本書では著者がリアル共同幻想論にいたるまでの
過程ともいうべきものです。近年では著者が現実と虚構の区別がついていないことが
伺えますが本書はその端緒ともいうべきさまざまな試論、空想が述べられています。
思考停止という思考法も著者ならではというべきで、60年代思考するものだけが
必ずたどりついた平和主義について考えさえられます。
自分の頭で考えることを強制させられた60年代の末路を考える上でも
興味深いテクストといえるでしょう。
忘れがちだけど、みんな多面体です ★★★☆☆
「世界」についていろいろと言及している本なのかと思いきや、オウム周辺についてのエッセイが中心。がっかりしたわけではないけれど、仕方ないか。「オウムと世界の関わり方」というところが、彼のメッセージの原点となっているのだろうから。

世界は、そして人は多面体である。そのことを忘れずにいなければならない、ということを心に刻み付けてくれる本。
危機感と思考 ★★★★☆
森達也のエッセイは2冊目。

以前どこかにも書いた気がするが、世の中に対して何かしらのインパクトを与え続けたり、何かしらで認められている人間に共通してあるのが、現状に対する「危機感」であり、その「危機感」を元に「思考」することだ。


僕はそんな人間に魅力を感じるし、尊敬する。
そして自分もそんな人間であり続けたいと思う。


村上龍のエッセイからもそんなエネルギーはヒシヒシと感じることが出来るんだけど、同じく森達也からも感じることが出来る。村上龍の方が力強くて好きだけどね。


まぁでも「自分ってただなんとなく生きてしまっているなぁ」って少しでも今この瞬間に思ってしまった人は、この本や、同じく森達也の『世界が完全に思考停止する前に』、村上龍『ハバナモード』を手にとってみてはどうだろうか。


すこーし世界が変わるかもしれない。
貧弱な世界と冷酷な人間 ★★★★★
森達也はセンチである。この人の本質はこの言葉につきるんじゃないだろうか。この人の本は初めて読んだが、「忘れられない少女の表情」は個人的にも似たような記憶を持つゆえか、それとも年のせいか(森と同じ歳)電車の中で読みながら、比喩ではなく涙がとまらなくなった。

言っていることは至極まとも。左翼だとレッテル張られたり、あちこち揚げ足をとられるかもしれないけど、大きく見れば絶対に間違っていない。

とても良い本を読ませてもらった。彼の他の本も読んでみよう。AもA2も観てみよう。

森達也に感謝。