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ビッチマグネット

価格: ¥1,260
カテゴリ: 単行本
ブランド: 新潮社
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いがいなものに ★★★★☆
 信じられない

 タイトルから想像した物語とは違った

 もっとハジケルべきだったんだよ! マイジョー成分が私には足りなかった 十分に補給できなかった

 現代の思春期の少年少女たちの気持ちが感じられる作品、今の日本の家族  そんな風に感じました

 だがハジケがたりない
殺人はなくたって、子どもたち育つ育つ育つ。 ★★★★★
舞城作品の中には「物語の展開装置としての暴力・殺人」というのが積極的に導入されていて、その暴力装置と対になっているのが、一人称で語られる倫理や道徳についての考察で、この両輪をフィクションの引用によって造られた車軸で繋いで、独特の文体速度を持った馬がぶん回していく一頭立ての馬車のようなものが舞城作品だと思ってました。そこが好きだったわけですが。

全然違うじゃないか、こいつは!
独特の語りのトーンは健在ですが、その語りの中で引用性は極端に抑えられていて、主人公が自己を切り刻んで並べていくようなパートが前面に押し出されてきます。
そこにあるのは、一人称の主人公がやっちまいがちな自己正当化でもなくて、他者への八つ当たりでもなくて、もっと細やかで面倒くさい存在である人間=自分へと臆すことなく歩み寄っていこうとする意思です。
こうした変化は引用を使って安直に読者と共犯関係を構築しなくても問題なくなりつつことの表れなのか、それとも単に芥川賞をきっちり狙ったのためなのかは分かりませんが、その変化も違和感なく抱き込める程度の懐を、舞城という作家は既に持ち合わせているように見えます。

あと、表紙が素敵です。
胎児からはじまり、崩壊した家を通り過ぎて、一周するように大人になって、鏡合わせに自分を描きだしていく女性が描かれています。
作中でもそこそこのウェイトで触れられてる発達心理学と関係付けているのか、ラカンの鏡像段階や諸々の見立てが織り込まれているようで、イメージの広がりがある素晴らしい絵です。
そんな邪推を抜きにしても鑑賞に堪えるという意味でも。
世界の再構成 ★★★★★
今回もとてもいいですね。
作者のこれまでの作品に比べると、描写は控えめですが、表現の強度は、あいかわらずすごいと思います。
スピードボーイとか、ぶっ飛んでいる過去の作品もすべて、内部世界の創造的表現だと思っています。そういう意味では、わりと、素直な作家さんなのではないかなと。
地獄のような無明の世界、それでも、突き抜けて楽しく生きることができる。
この場所で、実際に起きていることの写し絵を、今回は、この天才、さわやかに、現実的に描いてくれたのだと思います。
桃尻娘アップツーデイト、私には ★★★★★
いや、これは面白かった。

何といっても語りに、リアリティがある。本当の知り合いだったら、これはちょっとなあ、と思ってしまう
部分もあるが(いわゆるマジギレするところ)、そう思ってしまうところも含めて、主人公の広谷香緒里さ
んが生き生きしていて、とても魅力的だ。

それにくらべて生彩を欠くのは、弟の友徳くん。ビッチマグネットというタイトルなのだから、当然彼が主
人公と思っていたが、重要だけど脇役である。この淡色ぶりが描きたかったことなのでしょうか?

背景描写がもう少しあると、おじさん読者としては、当世若者生活を知ることができてもっと楽しめたかも
しれません。でも、小説として、少し前に読んだ『1Q84 book3 』より面白く読んだことは確かです。

おばさんになった榊原玲奈さんと出会ったところを想像してみると、楽しい感じです。新旧桃尻娘対談、な
んてどうでしょう。実は全然話が噛み合わないかも。
この世に「家族」と「物語」が存在することについて ★★★★★
 この世に暴力が存在してしまう絶対性/不条理性と対比する形で、やはり理屈を超えて人の人生の緒元として発生する「家族愛」を一貫して描いてきた舞城王太郎。今回、血生臭い暴力描写や殺人ミステリーを封印して、ストレートに「普通の家族」を描いたのが本作だ。

 この手の「壊れた家族」を扱う小説のパターンとして、子供がおかしくなって壊れるとか、「親である前に一人の男女として家庭の型から自由に恋愛しちゃうもんなのよ」とか、そういう常套のパターンというものがある。実際それは現実世界で「よくある話」なので、そういう「物語」が小説作品としても再生産されている訳だが、「物語」としてそういう状況はどうなの?リアルな人間の人生ってそんな簡単なものなの?という作者特有のメタな視点が主人公によって語られていて、興味深かった。

 そういう常套的「物語」に対して自覚的に距離を置きながら、それでもコテコテにならない程度に否応なく「物語」を反復してしまう主人公(長女)が成長していく姿は読んでいて希望を持たせる。そして、ラストで彼女が語る「物語ること」の思いは、そのまま作家としてのアイデンティティー宣言でもある。この宣言に僕は共感する一方で、そんなに「物語ること」に片意地張って言及しないでも良かったのではないかとも感じた。それくらい今回の「家族の物語」が完結していて説得力もあったからだ。そして、「物語」への偏愛を共有していないような(普通の)人々にも届き得る作品になったかもしれない可能性が、逆に物語への偏愛表明により狭まったのではないかとも感じる。

 この一点だけが気になったが、この作家が一流の文学作家であることは、この「物語ること」への言及により分かりやすい形で世間にプレゼンテーションされていること、このメタな「物語」作家としての態度表明こそが作者の個性であることも理解できるので、まあ悩ましいところなんですが。