すごい本です
★★★★★
まずは読んでみてください。そして驚愕することと思います。世の中は、かくも嘘ばかりで埋め尽くされている。
日本は、「政界」「経済界」「マスコミ業界」の、悪の三大トライアングルに囚われています。
そしてその周りに、宗教・市民・人権・環境などの各種団体や知識人などが、オコボレを貰おうとひしめき合っているのです。
役人や警察も、手柄とメンツを最優先で真実などどうでもいいことが、姉歯事件などを通してイヤというほど見えてきます。
これらの犠牲者となっているのが一般市民で、しかも国民の大半がそれに気づいていないという驚くべき事実。
この書物は、その一端を私たちに克明に暴いてくれています。著者の努力には頭が下がります。
もういまや、世界的にも末期的にボケてる日本人。少しでも目が覚めてくれれば・・・と願ってやみません。
本当に日本は恐ろしい国である
★★★★☆
元共同通信記者の体験から来るマスコミと官僚との癒着構造を耐震偽装やライブドア事件などの本質を説明しながら見事に問題提起してた。もうこの本を読んで3年になるが、政権交代の影響もあり若干は官僚とメディアの関係も変化の兆しを見せてきたが、ここにきて官房機密費とメディアの問題(ジャーナリストが自民党によって買収されていた事実)がフリージャーナリスト達の取材から明らかになってきた。しかしその存在自体無かったかのように沈黙し、報道さえしないメディア。本当に日本は恐ろしい国である。
真のジャーナリズムの姿がここにある
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ジャーナリズムの大きな役割は権力を監視することである。権力とは三権分立の考えからは立法、行政、司法となるが、本書を読むと現在の日本においては行政(即ち官僚)の権力が最も強大であることがよくわかる。その中で表面的に権力を行使しているのは警察や検察だが、その他の官僚も見えないところで権力を行使している。正当に行使していると言うよりは、責任逃れや自らの面子・利益のために姑息に権力を使っていると言う方が正しい。
日本のメディア(マスゴミともいう)はその官僚(権力)の手先となって事実を歪曲して報道し、世論を誘導しようとしているから、さらにたちが悪い。
私も以前はそうだったが、多くの国民は新聞やTVの報道は正しいと信じている。その結果、TV野心分の間違った報道や偏向した報道にだまされて、世論は操られてしまう。政権支持率調査結果などその最たるもので、信用に値しないものだ。なんと恐ろしいことが行われていることか?
真実を伝えるという使命を忘れ、商品としての情報をいかに売るかだけを追求するのがマスゴミだ。発行部数や視聴率を指標として利益を追い求めている。従ってコストがかかる取材活動は軽視され、記者クラブなどを取材源とする官僚からの垂れ流し情報のみに依存した各社横並びの報道内容となるのではないか?
著者は元共同通信の記者だが、このようなまともなジャーナリストは利益主義のマスゴミの中には、存在し得ないということだろう。真のジャーナリストの意見が、広く多くの国民の耳に届くことを期待する。
メディアの取材力の低下 を憂う
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著者は元共同通信社記者さんです。
耐震強度偽装事件を通して、国交症の思考パターン、
ケシカラン逮捕・口封じ逮捕など、検察の思考パターン。
などと、日本の報道を大本営の垂れ流しとしている病理である
客観報道主義、記者クラブ制に言及しています。
報道を見たとき誰が得をするかを常に念頭におかなければいけません。
効率主義により現場記者さんたちもかつての自由闊達・
物言える雰囲気が失われつつあること
それゆえかの取材力の低下を非常に憂いています。
医療記事を読んでいても取材力の低下を感じます。
メディアが公的機関のインサイダーと化している事実
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著者の「特捜検察の闇」を読んで、さらに読んでみたいと手に取ったのがこの新書。著者自体が共同通信に所属していたという経験から、いまや通信社・テレビ・新聞という主要メディアが総じて公的機関のインサイダーと化していることを、具体的な例を挙げて解説していく。共同通信のスクープ報道自主規制、「耐震偽装事件」なるものの本質と顛末とに真っ向から対立するテレビ報道・国交省・特捜検察の過剰な対応、「村上ファンドインサイダー事件」「ライブドア粉飾決算事件」についてのメディア報道・特捜検察の同様な対応、NHK番組改編についてのNHK側の自主規制と朝日新聞の追及へのしり込み、裁判員制度タウンミーティングをめぐる最高裁・電通・地方紙連合の癒着と、個々の具体例についての経過と問題性を最低限明確に記しているので、論旨が抽象的になることがなく、興味深く読み続けられる。
また、先般話題になった漆間巌の名がライブドア事件の章で、TBSの大型報道番組のキャスターである後藤謙次の名が共同通信のスクープ自主規制の章で、最近テレビで見かけた郷原伸郎の説がライブドアに対する特捜検察の捜査に疑義を示している部分でそれぞれ取り上げられているのが、本書で扱われているテーマが現在進行形なのだということを教えてくれる。
もはやジャーナリズムという言葉の実質は、本書のような書籍にしか生き残ることができないのではとさえ思えてくる。こんな主張が流通できるうちに読んでおきたい一冊。