正義って何かね?
★★★★★
世の中に「正義」は存在しない。
それを教えてくれる一冊。
暗い闇にメスを入れた力作
★★★★☆
真理とは何か。
15年以上前に、政治学者と弁護士に聞いたことを思い出した。
政治学者は、「真理とは立場によって、そして見方によって常に複数存在する」と答えた一方、弁護士は、「真理なんてものはない。作り上げていくものだ」と答えた。私自身は、政治学者の意見に近いし、弁護士の発言に、果たしてそんなものだろうかという疑念を持ち続けてきた。もちろんこの話は弁護士の話ではないし、自分の過去の経験を一般するものではない。しかし、その弁護士の発言を久しぶりに、本書を読んで思い出した。
「検察の「正義」自体、我々が考えているほど純粋無垢に光り輝いているわけではないのだ。検察の捜査は上層部や政界からの圧力、ひどい時は情実などに影響されたいわば「妥協の産物」であり、ときとして腰砕けのまま終わってしまうのである」という後書きに中島氏の発言も、本書を読んで分かったことである。
どの組織にも、どんなチームにでも淀んだ闇の部分があるかもしれない。その闇を表に出す作業をした、著者の仕事ぶりを評価したい。いったいこの闇はどうなくなるのだろう。チェックする機能を果たす仕組み作り、そして職業という仕事の枠を超え、人間としてどうか判断できる仕事人の存在、そして時に良い仕事をすれば適格に評価し、また悪い仕事をすればそれを表に出すジャーナリスト、そしてそれらを評価する我々にかかってくるのだろう。
憂鬱な事実
★★★★★
最近のニュースに触発されて、この本を手に取った。
検察官、といってもしがない生活を細々としている身には縁がないし、ごく最近までこれといったイメージすらなく、深く知る機会さえなかったが、2009年3月からのマスコミ報道によって俄かに存在感を示してくれた。振り返ってみれば国内的に最大級のニュース供給者でもあり、いわゆる「正義」を行動によって定義しようとする主体でもあり、法務省の管轄下にある国家公務員でもあり、改めてその影響力の大きさに気づかされる。
本書は、検察の中の検察とも言える特捜検察について、田中森一氏、カブトデコム社、安田好弘氏、それぞれへの捜査、取調べ、起訴、公判に至るまでの取り組みを辿ることによってその拠って立つ「正義」への疑念を主張している。また、中坊公平氏が世論の力を背景にして、公然と国家保障付きの錦の御旗を振りかざして行った債権回収の危うい手法についても明らかにしている。最後の章では、司法制度改革が経済界と自民党の主導で進められ、判検密着と弁護士の権力への擦り寄りがより強まっていることへの危惧が記されている。
この著作は2001年に発行されたもので、終章での著者の危惧は悪いほうへ成就してしまったかのようだ。将棋で言えば、ほぼ詰んでしまった局面にも思えてくる。正直言って、非常に憂鬱を感じる。このような状況を変えること、自分たち一人ひとりにできることはあるのだろうか。5月からは裁判員制度も始まる中、重い事実を突きつけてくる一冊。重くても、事実は事実だ。
「国策捜査」はあるのか、ないのか?小沢一郎秘書逮捕で改めてクローズアップされるテーマですね
★★★★★
高知白バイ事件でまざまざと見せつけてくれたように、「検察が正義だっ!」なんて、何の疑いもなく思っている人は、もはや、そう多くはいないのではないでしょうか。もし、しかし、そんなこといわれたってにわかには、信じられない人向けには、本書を読まれるといいでしょう。
この本では「悪徳弁護士」の烙印を押そうと、田中森一、安田好弘の二人の弁護士が嵌められてゆく事件を追っていますが、国はやろうとすればなんでもできるということを実例をあげて説明しています。震え上がる内容ですがこれが現実です。これはそのまま高知白バイ事件にも当てはまり、なんら違いはありません。まさにこの一文で総括されています。本書は、「あとがき」でこう締めくくっています。
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検事や弁護士や裁判官はそれぞれにきちんと独立し、お互いに批判し合い、相手の行き過ぎをチェックし合ってはじめて司法のシステムはうまく機能する。それを忘れて三者がなれ合い、国家の政策と一体化すれば、法の正義は失われてしまう。私(著者)がこの本で最も言いたかったのはそのことである。
検察の変容
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特捜検察の変容を記した本です。特捜のエース検事から裏社会の弁護士に転じた田中森一や、不良債権回収で辣腕をふるった中坊功一弁護士などが登場します。正義とは何か、検察の政治への傾倒、弁護士の権力への傾倒など、司法制度の歪みについて書かれています。司法制度について、考えるのに良い本だと思います。また、実在の人物の生きざま、姿勢がわかり、生き方を考える上でも、良い本だと思います。