強烈な印象を与えます
★★★★☆
実体験に基づいた記述であり、強烈な印象を与えます。検察組織の内部を知るのによい本です。逮捕された前田恒彦検事が著者の詐欺事件を担当しています。次のような記述がなされています。
1 検察の捜査の体質が権力体制と企業社会を養護するためのものだ、つまりすべて国策捜査である。
2 検察庁には捜査予備費があり、検察庁全体で2億円から3億円の予算がある。事件を処理するたびにその中から特別報奨金が各地検に配られる。被疑者を1人起訴して公判請求すれば5万円、略式起訴なら3万円、起訴猶予でも1万円である。これが地検幹部の小遣いになる。選挙違反は逮捕者が多いから特別報奨金が多くなる。それで選挙違反を好んであげる。
3 中央官庁や国会議員の汚職事件は検事にとって至上の喜びである。
4 被疑者にとっては供述調書をとられたらアウトである。
5 狭い拘置所の取調室で被疑者に同じことを毎日教え込むと、相手は教え込まれた事柄と自分自身の本来の記憶が錯綜し始め、最後には教えられたことをさも自分自身の体験や知識のように自慢気に話し出す。
6 取り調べは検事と被疑者と事務官だけの空間である。すると犯人も検事が味方のように思えてくるらしい。
7 気に入らない先輩検事が主任として扱っている事件では、被疑者の調書をとらない検事もいる。
8 大阪では検事正が検察庁を退官して弁護士になる時、住銀と読売新聞が責任を持って何十社に及ぶ顧問先をつける。
9 特捜部では捜査に着手する前に主要な被疑者や関係者を任意で何回か調べ、部長、副部長、主任が事件の筋書きをつくる。捜査段階で違う事実が出ても筋書き通りの捜査をやって事件を組み立てようとする。
10 取り調べで黙秘し嘘をつき通すのが被疑者となった時有利にするテクニックである。
著者の人柄と検事としての仕事ぶりがよくわかる
★★★★☆
最近【国策捜査】というキーワードがメジャーになり、検事の仕事に関心を持つ人も増えてきているのではないでしょうか。私も気になってきた一人ではありますが、本書を読むと、著者ならではの視点で検事の仕事の仕方を垣間見ることができます。
「新人の検事は、東京のような大きな地方検察庁で、1年の見習い期間を経て、そこから地方の地検に配属される」
「(新人でも)事件を担当させる。見習い期間には違いないのだが、傍目には1人前の検事として扱われる」
「(72年当時の著者の佐賀地検赴任時)にはヒラ検事はわずか4名」
「検察庁は国税局や税務署が絡んだ事件はやりたがらない」
「立件のための捜査の許可を出しあとで問題になれば自分の立場がないという責任逃れの役人根性」
「裁判所もマスコミには弱い。佐賀新聞社の記者を連れて裁判所に乗り込み、担当の裁判官のところに詰め寄り啖呵を切った」
検事が立件へ向けてどのような正義感でどのようにがんばるのか、そのためにどんな手段を用いるのかがわかり読んでいて興味深い。
内容そのものにはさまざまな驚きや違和感はあるかもしれないが、ことを成し遂げんとするために定時制高校から大学入学と司法試験合格をへて、これほど仕事に頑張るという点において、本書は、我々職業人にとって一読の価値のある本ではないだろうか。
買いです。
★★★★☆
いわゆる「ヤメ検」と呼ばれる筆者がその生い立ちから、控訴中の現在に至るまでの半生を赤裸々に、というか、まあ自分のことはいくら好きに書いても構わないとは思うのですが、政財界人および芸能人のことについてこれだけ実名と具体的な金額等を挙げてもなんの問題も生じないのでしょうか。まあ門外漢の自分のような者が生半可な知識であれこれ詮索するまでもないのでしょうが、本書は思わずそんな余計な心配をしてしまうくらい、バブル紳士らの、明らかに常軌を逸した豪奢な振る舞いの連続で、バブルがはじけ飛ぶ直前の88年前後、自分もたまたま大学に通っていて東京にいたのですが、同じ東京でよもやそんな現実があろうとは夢でさえ考えてみたことがありませんでした。ただ、その渦中に巻き込まれていく筆者やその周辺の人物のメンタリティを、その育ってきた環境と絡めて片付けるには事はそれほど単純ではなく、やはりそこに「バブル」といった事象の本質を垣間見るようにも思います。また、個人的には「苅田町住民税横領事件」の件りは自分の実家が苅田町にあり、故人を含めてその当事者たちの多くと顔見知りであるので、検察から光を当てるとこういった事件であったのかと目から鱗の気分でした。
買いです。
★★★★☆
いわゆる「ヤメ検」と呼ばれる筆者がその生い立ちから、控訴中の現在に至るまでの半生を赤裸々に、というか、まあ自分のことはいくら好きに書いても構わないとは思うのですが、政財界人および芸能人のことについてこれだけ実名と具体的な金額等を挙げてもなんの問題も生じないのでしょうか。まあ門外漢の自分のような者が生半可な知識であれこれ詮索するまでもないのでしょうが、本書は思わずそんな余計な心配をしてしまうくらい、バブル紳士らの、明らかに常軌を逸した豪奢な振る舞いの連続で、バブルがはじけ飛ぶ直前の88年前後、自分もたまたま大学に通っていて東京にいたのですが、同じ東京でよもやそんな現実があろうとは夢でさえ考えてみたことがありませんでした。ただ、その渦中に巻き込まれていく筆者やその周辺の人物のメンタリティを、その育ってきた環境と絡めて片付けるには事はそれほど単純ではなく、やはりそこに「バブル」といった事象の本質を垣間見るようにも思います。また、個人的には「苅田町住民税横領事件」の件りは自分の実家が苅田町にあり、故人を含めてその当事者たちの多くと顔見知りであるので、検察から光を当てるとこういった事件であったのかと目から鱗の気分でした。
週刊誌的な面白さは認めるが、著者の処世術には共感できない
★★☆☆☆
自分は俗事に疎いので、著者のことはよく判らなかったし最初はあまり興味も無かったのだが、あの、佐藤優、突破者の宮崎学、元日本共産党幹部筆坂秀世、らと対談本を持っているということで、事前学習の意味も含めて本書を購入してみた。
確かに、週刊誌的/三面記事的な面白さには満ちている。世間を騒がせた大物たちの実像に触れることが出来る。新聞報道の裏の隠された事実に触れることが出来る。暴露物のノンフィクションとしては、非常に良く出来た読み物とはおもう。
しかし、「エース検事」と呼ばれたほどの人物が、何故、いわゆる「人権派」「左翼系」の「ヤメ検」弁護士とはならずに、裏社会の守護神的なポジションについてしまったのか、いまひとつよく理解できない。
結局のところ、警察、検察、政治家、裏社会の悪人たちは、同じ穴のムジナだ、という思いが強くなっただけで、著者が、佐藤優などと同列の、「国策操作」の犠牲者などとは到底思えない。
彼には、ギリギリのところの自己否定が無い。あれだけ裏社会の大物たちとの付き合いがあったにもかかわらず、一個の個人としての理念というか、放棄の構造というか、そういったものに欠けている。漂流している丸太棒のようなもの。
要は本書も、裁判を見越した「自己弁護/正当化」の本としか受け取れないのだ。
もっともっと自分を切り刻まなければならないのではないか? 暴かなければならない裏の真実というものがあるのではないのか?
少なくとも、わたしの中では、最初に並べた三人の言論人とは異質の人にしか思えなかった。