半島の先端に橋ひとつで繋がっている小さな島。この島で“クライアント”とも“ゲスト”ともつかない存在として、“休暇”とも“余生”ともつかない日々を送ることとなった四十過ぎの男の話。
この島の存在は男自身であり、島で起こることのすべては男の心象風景でもある。男は世のしがらみから逃れ、“自由”を求めてこの島にやってくるのだが、少しずつ少しずつ、あらたな人間関係が形作られていく。現実から逃れて幻想(仮初)に生きることなど出来ない。なぜなら現実こそが仮初だから。なぜなら現実とは自分自身が作り出すものに過ぎないから。
この島は仮初でありながら、現実であり、自分自身なのである。この四十過ぎの男の心象風景そのものを立体化した、この島の地理や出来事の数々は面白い。地下道、トロッコ、螺旋階段は夢や過去へのバイパスである。島のA地点とB地点が遠いと思っていたのに実は背中合わせだったというのは、過去、現在、未来が直線的なものではなく往復可能なもの、あるいは“人生など一瞬”ということの比喩だろう。
男は成り行きまかせの人生を送ってきたと嘯く。そしてそのことに後悔しないのが唯一のモラルだと。それが果たして間違っているのかどうかなんて答えはこの本にはない。でも希望を与えてくれるこんなくだりもある。
「~迫村さんはまだ四〇代だろう。これがもっと爺いになってくると、見透かしていたつもりのからくりが、またもう一度、不可思議な謎々みたいなものと化してしまう。そういうことがあるんだよ」
「そりゃいいね」と迫村ははしゃいだ声を上げてみた。「歳をとるのが楽しみになってきましたよ」
「生きるってのは思い出すってことだろう。この島に来て、俺はそれにようやく気づいたよ。」という自分の“影”との対話もある。こうした過去をポジティブに捉え直す視点にも希望を感じる。