剛速球ストレートの元特攻隊員取材記
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ある大物作家の仲介で、著者の石丸氏は、米国籍の元特派員に本書の執筆を依頼されたそうだ。大物作家さんの選択眼は良いと思う。こういうデリケートな題材は率直に書くと揉めやすい。賢い人に依頼すると、右翼とか左翼とかを気にしすぎて、結果的に真実を語らない本になってしまうだろう、多分。
石丸氏のように善悪の彼岸を生活の場にする人の方が、多少の反発はそよ風のように受け流して、率直に書くことが出来る思う。実際、取材相手を狂気扱いしたり、表現はストレートだ。
さらに、キャバクラで出会った19才のシャギーを取材に連れてっちゃうので、彼女は石丸氏以上の剛速球な質問をしてくれる。
さて内容についてであるが、元特攻隊員へのインタビューが半分、残りはそこに至るまでの石丸氏達の珍道中である。
特攻隊というのは、中卒くらいで志願した予科練と大卒で徴兵された予備学生が主体らしい。この両者が抱いていた気持ちは随分違っていたようだ。死ぬ恐怖を語る人も、どうせ死ぬなら早道をと考えた人もいる。
それにしても、中学を出るか出ないかの子供が特攻隊に志願してたのは衝撃的だ。しかもベテランパイロットは温存して促成隊員を特攻させるのは、少年兵を玉除けに使う、現代アフリカの内戦と変わらないじゃん、と思う。
「的に命中しなくてもいいんだ、死ぬことに意味があるんだ」と作戦とは思えぬ精神論で出撃させる幹部と「オイも死ぬぞ、オー!」と友達同士で盛り上がる予科練は、当時から特攻隊を勝つための手段とは思ってなかったみたいだ。一番の存在意義が自己犠牲による国威発揚だったみたいで、これも現代のテロに通じる気がする。
あと、ホモや軍が支給してたコンドームの話など、特攻隊に関する都市伝説の真偽も明らかになるのは、石丸氏ならではと思う。
笑いつつ読んでいたら、最後の元特攻隊員の話は極めて重い。隠蔽したくなる悲惨な話が、真に心を揺さぶる内容なのである。
大層な「歴史観」が歴史を見えなくする
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私は最近の若者にしては、ずいぶん「戦争の記憶の継承」を働きかけられてきたほうだと思う。進歩派学者の憲法ゼミに所属したりすると、ひめゆり平和祈念館や遊就館など「戦争記念館」を巡ったりする機会は多い。
もちろん戦争記念館によって、訴える主張はまちまちだ。あるものは、「天皇ファシズムによる犠牲」を訴えるし、あるものは「戦後民主主義教育が覆い隠した大東亜戦争の正義」を訴える。
歴史家でもなければ戦争体験ももちろんない私たちは、そのどちらが「真実」であるかなんぞわかるわけもない。では、どうするかというと、「個人的」に自分のナルシズムが満たされるほうの歴史観を選択し、それに共感という外観を与えることをするだけだ。
でも同時に、そんな風に自分のナルシズムの行きつく先を探すことが、本当に歴史の継承なのか、とも考える。自分生きた人生が、数十年後なんとなしにやってきた若者のナルシズムの投影によって測られるなど、まっぴらごめんである。
これを、戦後民主主義教育の弊害とも、右翼教育の浸透とも、なんと言ってもらっても構わないけど、それが善いとか悪いとかいう以前に、兎に角こういう「感覚」を現実に戦争記念館に対し抱いているというところをまず見据えることでしか、私たち今時の若者が戦争について考える可能性は開かれない。
だから、私は、著者のこういう姿勢に全面的共感する。
「この本を書き上げる上で目標としたい部分の一つはこういった忘却された20世紀の歴史をオレ達の生きる21世紀のイメージで再検証することでもあるんだ。
(中略)サブカルチャーという世紀末生まれの新しいイデオロギーを手にしたオレ達が、今後どのようなスタンスで、先の大戦が刻んだ歴史に向かい合うのかということをはっきり正直に、つまり、戦前、戦中の憂国主義的好戦ヒロイズム、また戦後民主主義的な反戦市民運動ノリに流されず、ある種のクールさをもって世間に示す」(P32)
そして、「軍が行ったとんでもない暴挙である」って趣旨のものと「ことの善し悪し、効果のほどはともかく英霊達の勇気と忠国の心はすばらしい」って2つの種類に大別できる(P99)」特攻隊を21世紀のサブカルライターの感覚で読みなおしていく。
著者は、特攻隊が「暴挙」であったか「正義」であったかなどに何の興味も示さない。元特攻隊員達と酒を酌み交わし、個人的にどんな事を考えていたかを21世紀の文脈で翻訳し続ける。それは「死への距離感」のような真面目なことばかりではない。特攻隊員に配られた避妊具など大量の「ヨタ話」も真摯に拾い上げていく。
「何十人ものご老人と会い、戦争の物語の中に入り込み、当時の隊員たちや青年将校の心の中を少しずつ少しずつのぞき込んでいくと、オレ達のような現代の人間には「どうでもいい」、しかし、老人達には憤怒を感じるほど「どうでもよくない」出来事、そのギャップの中にこそ、長い間オレ達が身落としてきた、また今後も永久に身落とされ続けるであろう戦争と特攻隊のリアルなストーリーがあるーそのストーリーは現在の未来のオレ達に通じる物語になりえる!
(中略)当事者として戦争に参加していた老人達は、運命の導きで戦時中に少年〜青年期をすごさざるを得なかった、本人達にとってはかけがえのない“青春”という時間が現在のオレ達の“無知”という怠惰によって情動的に否定され無視されていることにイラついているのだ。それは当然じゃないか!青春の躍動や熱気を感じることができる感性を持っているのは、なにも戦後生まれのオレ達だけじゃない。バスケットやサッカー以外・・・たとえ「戦争」に否応なく支配された世の中だって、「青春」ってのは存在している。」(P122)
「静かに立ち並ぶ石灯篭の一つひとつに、本人にとってはかけがえのない“人生”っていうか“生きる物語”っていうか、まあ、呼び方がどうでもいいけど、そんなもんがあったんだぜ。そりゃ、いくら特攻隊員だからって一人ひとりが抱えていた個人的な物語ってヤツは、はっきりいって他人から見れば全くの他人事だよ。でもそれが特攻隊員であろうとキミであろうとオレであろうと、物語の主人公である本人にとってはどんな感動的な小説より自分自身の物語のほうが大切なはずだろ」(P126)
特攻隊員は真摯に国の事、死の事を考えることもあれば、どうしようもなくクダラナイことを考えることもあった。でも、それは私たちも同じだ。人は、後世の人々に戦争記念館で訴える「歴史観」を抱いて生きるわけでもなければ、死ぬわけでもない。いつもただ生きているだけだ。特攻隊員たちはその時「たまたま」戦争があった。私たちとの違いはそこしかない。
私たちは無数のそんな昔あった「他人事」を「自分事」に翻訳していくことで、何となく「歴史」を感じることができるのだ。
書店でページをめくったものの
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あまりにも軽い作りの本に見えて、一度目は買いませんでした。
結局『ノンフィクション』らしいので買いましたが、勢い良く読み切りました。それでも、この軽い文章の向こうの想いというのがとても深く、熱い・・・。
想いだけではなく、元特攻隊員の証言集としても、価値あるものと思います。
NNNOOOOOHHHHH
★☆☆☆☆
基本的に石丸好きなのでこれも含めて著書はほぼ全て持ってるがコレについてはやっぱし失敗なんじゃないかな。トーンとしてはいつもの石丸RHYTHMなんだけどドラッグに纏わらない特攻エピソードには合わない気がする。
まあ高額のギャラにて依頼されたから書いたんだろうけど・・もっとこうシリアスに悲壮感たっぷりと生々しく残虐に描いてほしかったな。
思い切りのいい文体。
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北朝鮮に続き、次は靖国と石丸元章の先見の明たるや恐るべし、といったところでしょうか。
読んでいると中毒になりかねないスピーディーな文体はここでも健在です。
絶対に太平洋戦争についてめちゃめちゃ勉強しているのだけど。
そう言ったことをほとんど感じさせない思い切りの良さはまさに石丸節
本当にノンフィクションなのかどうかは置いておいて。