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サムライと日本刀

価格: ¥1,575
カテゴリ: 単行本(ソフトカバー)
ブランド: 並木書房
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司馬史観に物申す ★★★★★
■司馬史観に物申す

本著は、神器、武器の二律背反を兼ね備えた日本刀という
武器と、そのことをわきまえて生きた武士のすがたを通じて
「わがサムライ」の生き様を描き出す試みです。

語り部には、新撰組の土方歳三が選ばれました。

キモは、
「司馬史観に物申す」です。

「司馬史観に物申す」核心として杉山さんは、
「松平定信、八王子千人同心、天然理心流」をキーワードとする仮説を提唱
しました。武全般への造詣が深く、ご自身も天然理心流を長く修業されている
武人・杉山さんならではの独創的な視点です。

日本刀一振りごとに章が立てられています。

各章では、函館で戦いの渦中にいる土方の行動・ことばを通じ、
神器、武器の二律背反を兼ね備えた日本刀という武器、そのことをわきまえ
て生きた武士たちの生き様・群像が浮き彫りにされてゆきます。
杉山さんの余談もためになります。


■司馬史観

戦後日本に住む多くの方は、司馬史観の影響を受けて自らの歴史観を形成し
ています。

司馬さんには、わが誇るべき歴史上の人物に光をあて、多くの人にその存在を
知らしめたという、極めて大きな功績があります。

しかし一方でその歴史観には、「神器、武器の二律背反を兼ね備えた日本刀
という武器と、そのことをわきまえて生きた武士」という視点が、決定的に欠け
ています。

その面で司馬史観を「真の意味で」批判し、わが歴史を多面的に捉える
糸口を広く一般に提供してくれた著者は、現れなかったように思います。

武士のキモは日本刀にある。
わが武のキモも日本刀にある。

そう確信するいくさびとからの「物申す」は、今生きるわれわれにとって
福音といえるものではないでしょうか。


■硬質の文章から香り立つ匂い

杉山さんは、
『週刊プロレス』『格闘技通信』『武道通信』の開闢編集長です。
ひとことでいえば雑誌畑の方です。

そのためか、文がわかりやすくキレがあると感じます。
あわせて、杉山さん独特の硬質の文体は、
目を通すだけで、サムライがかもしだすピリッとした空気と、
日本刀がもつ鋼の匂いを香り立たせます。

各章は、8〜15ページと読みやすい長さで、
日本刀に触れたことのない読者への心配りを感じます。

本著は日本刀の解説書ではありませんが、
刀の背景や歴史、刀鍛冶や研師にまつわる話も随所にあり、
刀をめぐる常識が、読んでる中で把握できるよう上手に構成され
ています。

前作(使ってみたい武士の作法)もそうでしたが、杉山さんの本は、
読み手に「ホンモノのわが武」のなんたるかを啓発してくれます。
わが歴史の核心である「わが武士の実像」を教えてくれます。

■オススメです

日本刀のもつ意味合いをつかめない日本人は、
「へそのない民族」と扱われても仕方ない気がしてなりません。
それがいやなら、日本刀を知る必要があると思います。

しかし日本刀の何たるかを、サムライの歴史、生き様と
からめて「わが武」に昇華して伝える一般向け語り部は、
これまでいなかったように思います。

杉山穎男さんという、このうえない語り部をあなたに
紹介できることを、心よりうれしく思います。

どこを切ってもためになる知識や話が出てくる。
それでいて一冊が一編の詩になっている。
素晴らしい作品です。オススメします。


最後に最も印象に残った一文をご紹介します。

<歳三は床机に座ったままで、腰の源之助国包の鍔に手をかけた。

 神代の世と違い、剣は武士が担った。剣をもって武士が武士を裁き、民を
裁いてきた。徳川様の世となり、武士は罪ありとなったら自裁する者。民は自
裁できぬ者だから武士が代わりに処刑した。それが法であった。平時でも武士
が一腰に大小二本差したのはそのためだ。

 武士が剣を携えた世は終わるのか。軍人(いくさびと)は剣に代わって銃
を持つだろう。いまの世の軍は銃であることは京で知った。新撰組に最初に
銃砲隊をつくったのは歳三だった。銃の軍では異国の戎衣(軍服)がよい。
江戸を発ち、甲州勝沼へ攻め入るとき月代を断ち、異国の戎衣を着た。歳三だ
けだった。

 では、武士は何をもって矜持を保つのか。断じて銃ではない。武士の剣はど
こへ行く。薩長は銃で武士の剣を葬るつもりだ。武士の世を終わりにする気だ。

 天子さまは、天皇の威を代行させる節刀を薩長に授けるのか。いにしえに
戻って天子さま自ら剣を持つのか。もし、天子さまを武家の棟梁にしてしまっ
たら、もし日の本が異国に敗れたとき、天子さまを罰し、葬るのか。>
(P99〜100)

無頼は語る ★★★★★

この書は小説ではない。  また歴史書でもない。

 人間とは何なのか。 どこから来てどこへ行くのか。 それが人知を超える以上は今、ただ今こそを人間はどう生きるべきなのか。
 これは禅の根源命題でもある。

 そして武士は戦場乱離のなかからその生き方の論理を見いだそうとし、ついにはそれを美学の域に高めた人達である。

 筆者はかっての日本人、最後の武士たちに仮託してこの問いかけを函館戦争のさなかを舞台に土方歳三をはじめとする登場人物たちに語らせようとする。

 彼らが信奉しより所としてきたもの、徳川幕府は既に瓦解し蝦夷共和国の夢も空しく、出自の誇りの八王子千人同心も今は往事茫々のかなたである。

 北海の寒風に吹きさらされ、寄る辺のすべてが瓦解して行くのを目前にしながら、彼らは何に殉じようとしたのか。
 右顧左眄、賎利の追求のみに汲々として大局を忘れる。
 現在の日本人の少なからぬものが忘れ果て、唾棄すらしようとしている武士と禅の心を、筆者はこの頑徹の漢たちの姿を通じて問いかけているのだろう。

 武器を語ることはいくつかの危険が伴う。
 日本刀しかり、銃砲もまた大いにしかり。
 それが優れた武器であるがゆえに刀剣マニア、ガンマニアを生み出し依存心と物神信仰の対象となり果てることはおおかたのよくご理解のところだろう。

 この書には多くの日本刀とその解説が書き込まれている、しこうして筆者は物神に惑わされることを実に注意深く避けて透徹に描いている。
 これこそが武士と武器のかかわりかたの根源なのだと思う。

 武士とは無頼の人である。
 「おのれの信ずるところに基づいて行動し、頼るところなき場所に一人立つ気概、覚悟。 そんな心意気が無頼なんだ」
 これはかって元特攻兵士・神坂次郎翁が老に賜った揮毫の句である。

 無頼の士、土方歳三。
 北海の巌頭に立ち、暗澹たる風雲を臨みながらあえて勝機なき戦いに果てようとしている漢。

 彼の手に堅く握られている一振りの日本刀。
 彼はその日本刀で甲鉄艦の装甲が断裁できるなどという妄言は一言もはいていない。  
それでもなお
 「さむらいは日本刀なんだ」

 「人はどう生きても必ず死ぬ。  
  君は、なんのために生き、どのように生き終わるつもりなのか」

 安穏に慣れるうちに時代はこの時代以上の激動の予兆をはらんできている。
 
 「あなたは、もう一度北海の荒浪の前に立ち、往古の漢たちの遺した問いに答えることができるか」
 これがこの書の筆者の、彼の好きな表現を藉れば(通奏低音)として敷き詰められている現代日本人への問なのであろう。

 なお、追記しておくとこれは史書として書かれたものではない。
 瑣末な点を言うなれば異説別説のある部分、誤脱も含めた小異を指摘することは容易であろう。
 しかしそれは本書の上ではほとんど意味をなさないことをあえて書き添えておきたい。
刀剣界に挑戦状を叩きつけた本! ★★★★★
これは深い。サムライの魂の根源に迫る本だ。刀とは何か、武士とは何かが、感性で理解できる。読んでいると、自分も土方歳三の従者になった気がして幕末動乱期に引きずり込まれる。

一方、現代の刀剣界には耳が痛い本かも知れない。現在の刀剣趣味は、かなり美術鑑賞的なマニア世界に入ってしまっている。一般の愛好者が掘り出し物の刀を見つけて最上研磨をかけ、重要刀剣に合格させて高く売り抜けるのが「カッコいい」とされる世界だ。

著者が登場させる武士たちは、刀に命を預け、刀を己の拠り所とし、刀に己の存在さえも同化させてしまっている。生き方そのものが刀である。

現代の刀剣愛好家のように照明を当てて刀を精査し、この傷はマイナス10万円だとか商人のようなことを言わない。古の武士たちは心で刀を見て、心で感じている。これが本当の日本刀鑑賞法であろう。

著者は保守論客、武士道の語り部、また雑誌編集者として有名な人物だが、刀剣界の人ではない。だからこそ現在の常識に毒されない、本当の日本刀を知っていると思う。

日本刀は日本民族の魂である。アイデンティティーである。
日本刀の本当の魅力が知られるようになって、再び日本刀ブームがくることを祈りたい。

とりあえず日本刀に興味がある人は必見の本である。
土方歳三を活写 ★★★★★
土方フアンには最高の読み物。加えて刀の本質を述べた名著です。