【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:生島淳/著 出版社名:新潮社 シリーズ名:新潮選書 発行年月:2003年07月 関連キーワード:スポーツ ルール ワ ナゼ フコウヘイ カ シンチヨウ センシヨ すぽーつ るーる わ なぜ ふこうへい か しんちよう せんしよ、 シンチヨウシヤ シンチヨウシヤ 3162 しんちようしや しんちようしや 3162、 シンチヨウシヤ シンチヨウシヤ 3162 しんちようしや しんちようしや 3162 欧米主導の不公平なルール変更の裏には何があるのか?イギリスとアメリカのルール解釈の違い、そして日本国内でのさまざまな問題を浮き彫りにしながら、勝ち負けを決定づける「規則」の本質を探る。サッカー、ラグビー、バスケ、水泳、柔道など、グローバル化するスポーツの中でニッポンが生き残っていくためのルール論。 はじめに 人はなぜルールを必要とするのか?第1部 イギリス フットボールの故郷(サッカーの祖先を探してラグビーに訪れた変化の波)
本のタイトルと中身が一致していません
★☆☆☆☆
このタイトルから本書を手に取った人は,水泳やノルディック複合,スキージャンプ等の競技を想像し,なぜ日本が不利なようにルールが変わっていっているのか,という疑問に対する答えを期待するでしょう.
実際,本書のイントロ部分ではこれらの疑問を提起しています.
しかし,本書の7割くらいはサッカー・バスケのルール変遷の歴史についてかかれてあります.
その歴史はそれはそれで面白い物かもしれませんが,「なぜ不公平か」という疑問にはまったく答えていません.
その後,ようやく我々(多くの日本人にとって)の興味のあるスポーツ,つまり柔道・相撲・バレーボール等の解説に入ります.
しかし,やはりルール変更の流れとその理由についてかかれてあるだけであり,誰にとって「不公平」なのかは明らかにされていません.
たとえば,柔道は従来日本では「1本勝ち」のみでした.しかし,それが東京オリンピック行こうヨーロッパを中心に世界的種目になりました.
その流れの中でポイント制が導入されていき,ポイントゲームに変わっていきました.
未だに1本勝ちを良しとする日本人にとって,世界戦はJUDOという異なる競技を争っているようなものだということです.
しかし,これはその競技に対する考え方の違いであり,不公平というのとは違うと思います.
同様の例としてノルディック複合があります.ジャンプが強かった日本が一時期表彰台を独占しましたが,クロスカントリーこそが複合のメインと考える北欧勢によりクロカンの比率が強められました.
確かに,一見これは不公平のように見えますが,その競技の本質を何とするかという考えの違いではないでしょうか.
逆に背が低い日本人はバレーボールにリベロという守備専門のポジションを導入することに成功しました.
これはTV放映料を多く払っている日本の発言権が強かったことが影響していますが,リレーが続くほうが面白い,という日本人の趣向が受け入れられたためでとも考えられます.
つまり,ルールの変更には「発言権」と「何をおもしろいとするか」という考え方が決め手であり,そのルール内で動く選手にとって不公平ではないのです.
ではルール上の「不公平」とはどうゆうことか.
スキージャンプでは数年前にスキーの長さは身長よって制限されるようになりました.
ジャンプという競技は「いかに飛ぶか」ではなく「いかに落ちないか」という競技であり,いかに空気抵抗を大きく受けるかというのがポイントです.
そのためにはスキーの長さは長ければ長いほど良いのです.
しかし,その道具が「体格」というどうしようもできない指標によって制限されました.
体格によって道具を制限するなら,同じ土俵で競わすのではなく,格闘技のようにクラス分けすべきです.
しかし,本書ではこのような不公平に関してはまったく触れられていません.
つまり,本書のタイトルは「なぜスポーツルールは変わるのか」という感じがベストでしょうか.
もしかしたら,「それではインパクトが足りなくて売れない」という思惑があったのかもしれませんが,それにしてもタイトルと内容が違いすぎます.
メディアに翻弄されるスポーツルール
★★★★☆
TV視聴者に魅せるためのルール改変はいまや周知の事実ですが、裏事情を知るとしょうがないかな、という気もします。
この辺のルールの変遷を解説をTVでしてくれるともっと楽しめるのにそういう解説者はほとんどいないですね。
誰もが変だと思っていたこと
★★★★☆
水泳やノルディック複合など、日本人選手が頂点を極めると、何故かルール変更がなされる、この事実に、多くの人たちが何か釈然としない、あるいは、うさんくさいものを感じていたのではないだろうか。本書は、そうしたもやもやに真正面から取り組んだ好著であると思う。そもそも、スポーツほどある意味で政治的な営為はないと思うし、世界がどれほど人道的になろうと、また、日本がどれほど豊かになろうと、日本人が「黄色人種」であるということの意味を軽く考えるべきではないと思う。とはいえ、著者の叙述と分析はあくまでも冷静かつ客観的で、悲観も楽観もない。アテネを控えているいま、是非、一読をお勧めする。