流刑に関するエピソード満載の本
★★★★☆
刑罰制度の一つとしての流刑を学術的に論じた本ではなく,「こういう流人がこういう遠島でこうやって暮らしました」というようなエピソードを色々紹介してくれる本。
江戸の流刑地は伊豆七島とされていた。自給自足できる佐渡や隠岐などと違って自活が困難な島々で,随分と悲惨な状態だったらしい。
特に重罪人(当初は思想犯が主だったが,後には一般の無頼漢が増えた)は八丈島に流された。
八丈島の流人1号は,関ヶ原の戦いで西軍だった宇喜多秀家一族である。隔年ごとに加賀前田藩(秀家の妻の実家)から潤沢な仕送りがあり,島内で子孫は繁栄した。赦免された明治2年には20家を数えたという。
記録では1865人が流され,このうち,赦免された者(死後赦免を含む)489人,島抜けを企てたもの82人。
1860年には利右衛門を主犯とする30名による島抜け騒ぎがあった。副将格の兼吉が落とした連判状から足が付き,30名全員が自殺又は処刑された。8人の島妻(流人が現地の娘を妻としていた)も足枷等の刑罰が科された。伊豆大島では各種の私的な仕置きがなされていたが,特に八丈島では,(崖から)突き落とし,木槌で頭を打ち砕く,牢屋の中に縛って放置し死なせる,というような残虐な刑罰が行われていた。
八丈島への流人は,三宅島で数ヶ月風待ちをしたが,この間に,江戸から持ってきた見届け物(島に持参する金品)を三宅島の流人に奪われることが多かった。
飢饉になると,島民には1日当たり男2合,女1合の米が支給されるが,流人には支給されなかった。このため,多数が餓死した。
とりあえず八丈島関係のエピソードをいくつか紹介したが,どれも面白く(悲惨な話が多いが),江戸時代の刑罰をイメージしやすくなるように思う。