『科学技術は日本を救うのか』と聞かれたら答は『救う』であろう
★★☆☆☆
『科学技術は日本を救うのか』と聞かれたら答は『救う』であろう。
著者は日本の20年にわたる停滞は「志を失ったこと、新たな目標がないこと」
だと説く。その志や目標は「科学」なのか。
もし「科学」だとして、要諦は日本人がその科学技術を使いこなせる国民であるかどうかであろう。
科学の先端を、日本人が世界に先駆けて作ることばかりが日本を救うのではない。
科学の先端を考えられる層がいて、その科学を理解できる層がいて、利用できる層がいて
すべての日本人をを科学の先端に近づけようとするのは間違っている。
日本は様々な層の教育された人間が存在するのが強みなのだ。
それが「日本を救う」のではないか。
科学技術は日本を救えるのか本当に不安
★★★★☆
事業仕分けの俎上にものった科学技術振興機構のトップによる科学技術および経済論。
第一章では、世界的研究開発競争に対応するために、日本の科学政策や大学が改革されてきた背景と、その改革により日本の研究レベルが上がってきたという成果が強調されている。
第ニ章では、日本の景気低迷の原因は、貿易黒字のために海外投資が増え、国内での製造、技術開発への投資が減少したためだと分析している。
第三章では、景気回復のための策として、また若い世代が共感できる課題として、社会的・精神的に価値のあるもの、具体的には環境問題、低炭素社会へ投資することを提案している。
第四章では、サハラ砂漠での太陽光発電や超伝導を利用した送電計画など、壮大な計画が語られている。
語り口は柔らかく、データを駆使して読みやすい内容になっている。しかし、第一章でここ10-15年の科学政策の成果を強調する一方、負の側面としての大学間格差の拡大、研究ポストの不安定化、ポスドク問題、大学院後期課程離れ(要するに研究職は割に合わないと敬遠されている)などの問題に関してはあまり触れられていない(地方大学の生き残り策はあったが)。人材が寄り付かないままでは、研究レベルは緩やかに衰退していくだろう。大学などの研究現場では、日本を救うどころか、自らの存続にも不安を抱いているかもしれない。その部分の原因分析と対策を素っ飛ばして日本経済を語ったところでピンと来ない。日米の大学の予算比較は興味深いが、簡単にまねできる話でもない。第三章の後半の内容はまさしく、今後の科学政策の柱のひとつだが、改革がいまだ過渡期で明らかに綻びが表面化しているのに、そこから目をそらして夢を語ったところで、絵空事に感じてしまう。
期待していた内容とは少し違ったが、それでもトップが自らの言葉で科学と社会との関わりや、ビジョンを語ること自体は意義のあることだと思う。科学技術が少しでも社会の役に立つことに期待を込めて、星四つ。
サイエンス?
★☆☆☆☆
「科学技術は日本を救うのか」はタイトルとして不適切です。
内容は科学者が書いた経済政策?の本です。
タイトルから科学技術関連の内容を期待していたのですが…
経済政策?の内容もサプライサイドとケインズ経済学の折衷で、一貫性がない。素人が付け焼き刃で日本経済への処方箋が示せるならば、不況は存在しない。
科学技術の振興を如何に図り、日本を支えていくかを提言して欲しかった。
科学技術を日本の発展戦略の起爆剤に
★★★★☆
科学技術振興機構理事長である著者が、科学技術振興による経済発展論を展開した本。貿易黒字と貯金が海外投資に振り向けられた結果、国内投資は置き去りになり、今の経済停滞を招いたというユニークな視点を、貿易収支と円ドルレートが連動していることなどで論証し、巨額の貿易黒字は余り好ましくないとする。そして、科学技術で低炭素社会を実現するなどのビジョンに基づいた目標を達成する経済活動を行うことを提言している。
著者は自身のフィールドである超伝導の研究成果から、サハラ砂漠一面を使って発電した太陽光エネルギーを全世界へ送電できる超伝導電気ケーブル、パンタグラフやレールが不要な超伝導リニアモーターカーなどの未来科学を紹介している。とてつもないスケールだ。
本書の論じる内容はスケールが大きいが、文章は非常に平易で図解も多く読みやすい。冒頭で、「もっと科学研究予算拡大を」と訴える著者の立場を抜きにしても、新書なので、論旨はややおおざっぱな点もあるが、「科学技術で環境社会を作る」というビジョンが根拠に基づいて構築されていて、日本の発展戦略をしっかりデザインできている。
やがて科学は行き詰る
★★★★★
現代の若者が社会に対して閉塞感を持っているのは科学が行き詰っているからです。
戦後、科学の進歩が経済を動かし、日本は驚異的な復興を遂げました。当時の科学技術の進歩によってテレビ、冷蔵庫、洗濯機の3種の神器を手に入れるべく若者はがむしゃらに働き、結果それが経済を支えました。そして子どもたちは将来、空飛ぶ乗り物で世の中があふれかえっているだろうと夢見ていました。
あれから40年、まだ空飛ぶ乗り物はありません。3種の神器もマイナーチェンジを繰り返すだけで基本的には変わらず、機能が増えてむしろ使いづらいという側面もあります。そしてあれからまだ一回も月に行っていません。タイムマシンもありません。
科学の定義とは観察し、実験し、応用することです。
応用されたものが私たちが身近に利用するものですが、観察するのは常に科学者の目です。
顕微鏡や望遠鏡を使っても人間の目に見えなければ、科学は行き詰ってしまいます。
ですからいまだに宇宙が何なのかわかりません。
科学者の末席に身を置くものなら誰しも、見たい、聴きたい、知りたいという純然たる知的探究心という究極のエゴイズムによって動かされているところがありますので、ひょっとすると画期的な発見をすることもあるかもしれません。
ただ、現行の科学を否定せずして、科学の発展はあり得ません。カツオの刺身はワサビ醤油で食べるものだと思い込んでいたのがそれを否定してマヨネーズで食べるとはるかにおいしい発見があるのと同じように。
学会という権威主義に依存していたのでは、やがて科学は行き詰るでしょう。
生物の多様性もさることながら科学者自身の多様性も必要なことを忘れてはいけません。