食い足りない
★★★☆☆
読後、もやもやとした気持ちが残りました。いくつか項目に分けて整理して書きます。
(1)スパコンの話で「お金をよこさないあなた方の理解が足りない」という科学者たちの考え方を斬りながら、「生まれたばかりの赤ん坊は、何の役に立ちますか」というファラデーの反語的レトリック(全然質問に答えていない)を無批判に受け入れている部分に違和感を感じました。「イノベーションというものは、このような見通しができる人間の手で生み出されるのかもしれません」という結論は一種のエリート主義で、それはまさにスパコン問題で怪気炎を挙げる科学者たちの行動原理そのものではないかと思います。ここを掘り下げてこそ始めて議論という気がしますが、全く掘り下げがなく残念です。
(2)科学マニア以外の人が重要である(この点については全面的に同意)とありますが、本書にもときたま「筆者が一方的に科学への愛を叫んでいるなあ」という印象をもった部分がありました。読んでいて幾度か「おいてきぼりにされた」ように感じました。
(3)「答えが出せないことはペンディングする」という文言にもかなり違和感を感じました。この点は単に意見の相違かもしれませんが(あと「ペンディング」という言葉が一般に通用する言葉だと思っているとしたらそれはコミュニケーターとしてどうなの、というのもあるけれど)。私の意見としては「答えが出せないことにも多くの失敗と恥を重ねながらトライアンドエラーで試行錯誤し、最善の仮説を常に更新する」という方が科学の実態のプロセスに近いと感じています。常にペンディング(保留)してれば「間違ったことを言う」リスクは少なくてすみますが、それって優等生的というか減点主義的なニュアンスの強い態度とも言えるのではないでしょうか。一般論として、「答えが出せないことはペンディングする」のは哲学者の美徳(ヴィトゲンシュタイン的な)であって、科学者の美徳ではないのでは?(まあ「現時点でのベストの答えは**ですが、この考えにも**という不明点が残されています」というような真摯な説明が必要である点には同意しますが、そういう態度と「ペンディング」という言葉のあいだにはちょっとギャップがあると思う)
この本に関しては、各論における「筆者の気持ち」は伝わるのですが、全体的な構成としては錯綜しているなあという印象が残りました。もう一段階大推敲する余地があったかなあ、そうすれば一段階良いものになりそうなのになあ、というのが正直な感想でした。
科学者自身の多様性
★★★★★
科学者の最大の弱点は「それ以外の何かを知らない」ことです。
その事象に関してだけは確かにプロフェッショナルですがそれ以外は全くの素人です。
自分の食べる飯を炊けない科学者がどれだけ多いことか。
飯を炊いてくれる母や妻に感謝しても罰は当たりませんよ。
学会という権威主義に依存していたのでは、やがて科学は行き詰るでしょう。
生物の多様性もさることながら科学者自身の多様性も必要なことを忘れてはいけません。
調和(Balance)
★★★★★
この本をあえて一言で表現するとしたら、「科学技術の啓蒙書」である。
しかし、その中には著者の経験と知識、それらに裏打ちされた洞察力が
込められている。共感できるところも多く、一読する価値は十分にあるだろう。
一方、本書では「科学リテラシー」と言う言葉が頻繁に登場する。これこそ、
「科学アレルギー」が生まれる要因の一つであると思う。著者の意図が
図りかねるところだ。
また、著者も認めているところであるが、同じ文章の繰り返しが多い。
「文」は「水が流れるが如く」あれ、これは次作に期待したい。
同世代として著者の活動を応援したいと思います。
「内なる敵」へ向けて
★★★★★
本書を手にするのは、どんな人たちだろうか。著者の内田麻理香さんが願うように、理系に苦手意識を持った文系の人だろうか。それとも、やはり理系に関心を持つ人だろうか。理系・文系を問わず、テレビなどで内田さんを見て、内田さんに関心を持った人が手に取る可能性は小さくないかもしれない。サイエンスコミュニケーション“業界”では、内田さんはもはや有名人だから、本書に目を通す“業界”関係者も少なくないように思う。いずれにしても、内田さんがいう「普通の人」たちに本書がどこまで広まるかだが、正直なところなかなか難しいだろうという印象を持つ。
だからといって、本書の出版に意味がないとはまったく思わない。理系マニアを自認する内田さんだが、本書で「科学はありふれたもの」だと繰り返し説いている。昨年の事業仕訳でスパコン予算が凍結されたとき、ノーベル賞級の著名な科学者たちが一堂に会して緊急集会を開き、マスコミにも大きく取り上げられた。内田さんはこの様子を「科学教の狂信者集団」、科学者たちを「親にダダをこねる子ども」と同じと評した。知らず知らずのうちに、理系を特別扱いしている専門家やマニアにとっては、いわば内側から冷や水を浴びせられたようなものだろう。
現代という時代は、科学が大きな権威を持つに至っている。ところが、少しよく考えてみると科学の権威は「裸の王様」にすぎないことに気づく。科学が特別扱いされる根拠は意外と薄弱で、いまこそ「科学はありふれたもの」であると再認識する必要がある。本書がかりに「マニアの、マニアによる、マニアのためのサイエンスコミュニケーション」の一端を担うだけで終わったとしても、専門家や評者を含めた理系マニアに、科学を再考する機会を与えてくれているように思う。
われわれはこの機会を活かさなければならない。サイエンスコミュニケーションは理系と文系、専門家と一般人、科学と社会をつなぐだけで終わらず、理系の内側にいる人たちも相手にしなければならない。むしろ「内なる敵」のほうが手強いことを認識すべきだろう。以前に『カソウケンへようこそ」のレビューでも書いたことだが、やはり理系の関係者にこそ読んでもらいたいと強く願う。
多角的な視点
★★★★★
私がこの本が訴えていることで最も重要だと思う事は「多角的な視点をもて」ということだと思う。
昨今の事業仕分けでは民主党蓮舫議員の「2位ではダメなんでしょうか?」という発言にたいして、批判的な意見が大勢を占めた。確かに、そういう意見もあっていいのであるが、その逆の意見が出てこなかったのにいささかの疑問を本書は呈している。気をつけて欲しいのは、どちらがいいと言っているわけではないということである。
『科学教』という強い言葉を使っているが、それだけ多角的な視点を重視しているという事である。
事業仕分けに対するノーベル賞受賞者の会見について、少しでも疑問を持った人、また持たない人にも是非一読してほしい一冊。