面白かった
★★★★★
南の島の住人はどの様なことを考えているのかな
と思って読んでみたんです。
中に書かれていることはだいたいは白人に大しての批判でした。
自分の生活がいい間違いないみたいな感じでした。
島国にいると、頭が凝り固まってしまうように感じます。
ただ南の島の生活は、何も考えなくてもその日その日採れたもの
だけを食べて生きていれば、働く必要もないし、
貯金もする必要もない。明日の心配をしなくていい。
彼らは、ある意味自由だ。すべてのモノから開放されている。
高度経済成長なんてなくていい。豊かにならなくていい。
物なんて要らない。
すばらしい。日本が後3000km南に移動すればそうなると思います。
1920年代に南の島の酋長が見たヨーロッパ
★★★★☆
素朴な本である。
南の島で育ち、ヨーロッパを周遊した酋長が、ヨーロッパ人をパパラギと呼び、その奢りを非難している。
私有の概念がない、酋長ツァイアビにとっては、自分のものと他人の物を区別し、私有に拘るヨーロッパ人が相当に奇異な存在に見える。筵を束ねたもの(本)を読み、心と葛藤してもがくパパラギを、なんと不自然なことかと喝破する。
神は我々を抱く存在であり、誰のものでもなく、ましてやパパラギが神をわがものにすることはできない。
演説を集約したものだが、90年の月日を経て、その研ぎ澄まされた感覚は新鮮である。既成概念や常識を軽々と打ち破ってみせる闊達さがこの本にはある。
持ちすぎた故に不幸になることもあるのだ、背負いすぎた故に堪え切れなくなることもあるのだ、我唯足るを知るのみという日本の故事成語にもあるように、まずは現在の境遇に感謝し、素直な気持ちで日々を丁寧に生きることこそ大切なのだと痛感させられる。
傾倒する必要はないが、現代社会を客観的に見れる
★★★★★
第一次世界大戦が始まる直前、1910年代。
当時ドイツ領だったサモアの酋長が、ドイツに行って受けたカルチャーショックを、島の人々に語る形式で書かれています。
原本はドイツ語で、欧米ではわりと有名な本です。
これが、最初に日本語に翻訳されたのが1981年。
当時、日本はプラザ合意の後、バブルの絶頂期を迎える時代でした。
そんな中、この本はそこそこ売れて話題になったようです。
パパラギとは、サモアの人々から見た白人のことです。
「パパラギは、子供の頃から大人になるまで本の知識を頭に詰め、それができればできるほど偉いと思っている。」
「パパラギは、自分の年齢を知らない私を哀れんだが、知らない方がずっといい。」
「パパラギは、恐ろしい殺し合い(第一次世界大戦)を始めた。」
などなど…。
この本に傾倒する必要はありませんが、現代社会を俯瞰して客観的に見るにはとてもいい材料になります。
今、自分が住んでいる世界の常識を、ちょっと距離を置いて再考してみるだけではなく、とても面白いお話として読むことができます。
ちょっと疲れた、あなたにオススメ。
創作
★★★☆☆
本には、これがフィクションだということは書いてなかったので
読み始めは「このツイアビって相当頭良いよね」、などと思っていましたが…
これ創作ですよね。ツイアビが実在したかどうかはわかりませんが、
書かれているような演説を実際にしたのでしょうか。多いに疑問です。
もともとは、ドイツ人がサモア人になりきって現代文明を批判したものですかね。
そう考えるとこの本は、批判精神に満ちかつ遊び心のある良書だと思いますが
サモア人が語ったものと真に受けていいものか。
先入観のない「目」
★★★★★
文明の品々を南国の住人に伝えるために、豊かな比喩が駆使されています。
比喩を楽しむだけでも面白いですが、メッセージは痛烈。
自分は何のために都会にいるのだろうと考えさせられてしまいます。