本書と「小堀遠州 綺麗さびの極み」を読めば、遠州に関する基礎固めは完成!
★★★★☆
本書は、マルチタレントとして江戸時代に活躍した小堀遠州(こぼり えんしゅう)の美と心を、遠州茶道宗家の小堀宗慶(そうけい)宗匠と息子の小堀宗実(そうじつ)家元が対話形式で紹介している。対話形式であるため、比較的スラスラと読み進めることができ、250ページ強でも速いペースで読破できるだろう。
(中略)
本書を通じて考えさせられた点は2つある。ひとつは、遠州と利休・織部との相違点の再確認、並びに共通点の理解である。もうひとつは、遠州流と千家を筆頭とするその他の流派の違いである。
まず、前者から。本書を読む前に、私は「小堀遠州 綺麗さびの極み」を読破した。その際、信長、秀吉、家康のように茶道の世界でも利休、織部、遠州という流れがあったことを知った。そして、それぞれの違いを茶器の写真にて瞬時に把握し、上記の本を読破することで凡そではあるが理解することができた。
しかし、本書を読破することで表面上の相違点の再確認と共に、共通点を理解することができた。それは、それぞれのお気に入りの茶器を手に取った時の感触が同じことである。
利休の黒を基調とする侘び、織部の独特の形状をした個性、そして遠州の綺麗寂びの間には、形は異なれども触覚は共通することを知った。このことを知った時、茶道の奥深さと直系の流れを汲む3人の精神的な繋がりを感じ、文化の高尚さに改めて感動を禁じえなかった。
次に、後者を取り上げる。大半の流派では同じことが良いことだと考えている反面、遠州流ではその時々の花鳥風月によって変化することを是としている。同じことは心身ともに安定していることだと考えがちであり、茶道の世界でも同様に考えている節がある。
しかし、遠州は少しずつ変化させることで、お客様へのおもてなしを極限にまで高めようと日々精進している。この点は現在のホスピタリティにも共通することなので、大いに参考になった。
このように、遠州に興味がある方には得るものが多い本ではあるが、本書では所々で茶道に関する専門用語が散りばめられている。私も何度も読むのを止めてしまい、確認&理解してから次の行に取り掛かったほどである。そのため、全くの初心者は途中で挫折してしまう可能性が大である。
だからといって、本書を手に取らないのも勿体無い。本書はカラー写真をふんだんに使用しており、パラパラと捲っているだけでも遠州流の美意識に触れることができる。そのため、専門用語が出てきても無理して理解しようと思わず、写真を見て理解したつもりになるだけでも十分ではないかと考える。遠州に関する他の本を読めば、時間が全てを理解させてくれるだろうから。
(後略)