【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:吉野源太郎/著 出版社名:日本経済新聞出版社 発行年月:2005年05月 関連キーワード:セイブ ジケン ツツミ ケ シハイ ト ニホン シヤカイ せいぶ じけん つつみ け しはい と にほん しやかい、 ニホンケイザイシンブンシ 5825 にほんけいざいしんぶんし 5825、 ニホンケイザイシンブンシ 5825 にほんけいざいしんぶんし 5825 父親の呪縛を逃れられず、資本の論理に屈したカリスマ経営者。巧妙な支配構造を崩壊させた西武の起爆装置とは。事件の背景にある日本の血脈・土地資本主義の終焉とは。衝撃の事実を次々明かす渾身のノンフィクション。 第1章 崩壊(義明逮捕生体解剖計画 ほか)第2章 悲劇と茶番(裏切られた父狂乱の独裁 ほか)第3章 西武が映す日本(一九八四年バブルに踊った虚像 ほか)第4章 資本主義の条件(近代的所有権占有者たちの日本)巻末資料(強さの研究-西武鉄道グループ(「日経ビジネス」誌一九八
所有と占有
★★★☆☆
所有と占有というテーマに着眼しているのは面白い。でもこの本で取り上げるには余りに大きすぎるテーマでちょっと中途半端になっている。近代的所有権の確立には国民の財産権を保護する近代国家の成立が不可欠だが,一方でその国家は相続税を使って家財の維持をほとんど無に帰してしまう。それにしても日本は極端に相続税が重いんだろうな。
巻末に80年代の雑誌記事をそのまま載せているのは良心的だと思う。
大手メディアの出身者が発表するノンフィクション作品に感じる違和感
★★★☆☆
すっかり忘れ去られた感のある「西武事件」とはどんな事件だったのかを再確認したく購入した。
事件が進行している時期に発表された作品ではあるが、ドキュメント的な作品ではない。日本社会においてこの事件はどう位置づけられるのか、ということに主眼が置かれている。その結果、義明氏ではなく先代康次郎氏の人物評に多くのページが割かれることになっているのがなんとも皮肉だ。
著者は、会社は株主のものであるという意識が希薄であり、経営陣の保身が生んだ不祥事が絶えない日本の社会の中で、西武グループを「特殊」な会社ではないと結論付ける。ベールに包まれていた西武グループも、事件によって明らかになった事実を考えてみると、極めて日本的な存在であったという意味においては、その結論は正しいのだと思う。
メディア関係者が書く事件関係の作品を読むと度々感じる違和感がある。
一つは、事件を起こした人物に対する評価だ。多くの場合、わたし(著者)は事件の起こるずっと以前から、こういう人物だと知っていたかのような書き方がされている。この作品では堤義明氏に対する評価だ。彼は独裁的で無能力な経営者であったとされている。過去においても優れた経営者であったとは描かれていない。
では、以前はどうだったのかといえば、巻末に掲載されている、初めて西武グループの経営に切り込んだという、著者が副編集長として手掛けた日経ビジネスの記事(84年)を読めばわかる。確かにこの記事には、経営手法に対する疑問点も提示されている。しかし、その論調はそれを暴いて糾弾するのではなく、だから西武グループは強いのだというものだ。逆説的に堤義明という人物の経営能力を評価していると言える。しかも、著者はこの作品中で何度も、この特集記事発表のときから西武はなにも変わっていないと記している。
もう一つは自分がメディアの人間だったということを忘れているのではないかという書き方だ。この作品では、度々、皆が事件の本質を見落としている、わかっていない、といった類の記述がある。では、本質を報道しなかったメディアの責任はないのか、と突っ込みの一つも入れたくなる。
事件ではなく真実の記録だ
★★★★★
著者の記者としての気迫を全体から感じる、すばらしいルポルタージュだ。
未だ解決をみない西武事件。一般報道では全体が報道されることはないが、これを読むことですっきりと、この事件の背景・全体像が見えてくる。
関係者の証言、資料による裏づけ、堤家の歴史と日本の経済界で「闇」と呼ばれていた西武(コクド)グループの実態をつまびらかにしている。記録として読んでみるほうがいいのかも知れない。
創業家と西武経営陣の裁判が継続されている中、この事実は重い。メディアも社会も良く知っているはずの堤家による企業統治手法、この名義株を裁判所が認めない時には、吉野源太郎がすべてを創作したことになってしまうのか。まさに現在進行形の事件である。
そんな視点からも、ぜひ読んでみることをお勧めする。
これは値打ちのある本だ
★★★★★
なにか事件があると日経新聞社はなかなかいい本を出す。これもその1つといえるが、しかし、奥が深い。題材が日本の経営の根本に関わるということ、また著者独特の考察がいやみや事実の歪みをきたすことなく出されていること、などがその理由であろう。独特の考察とは、たとえば、堤先代の行動が近代的所有というよりは前近代的占有のあり方として理解でき、その延長として、近時の破綻が説明できるといったものである(実際にはもっとスマートに書いてある)。所有という制度によりアフリカでも紹介なく事業ができる、という譬えも斬新である。これが法学部出身でない60歳の世代の人の筆になるとは驚きである。
私は、吉野源太郎を読んでいる
★★★★★
西武事件は、報道の洪水のなかで指針を失っていたように感じていた。これが真実だとか、これが核心だとか、しまいには誰が首をとっただとか、そんなくだらない話ばっかり溢れ出て国民を煙に巻いていた。
名義株の論点は一体、どう位置づければいいのかという疑問に応える記事も書物も見当たらなかった。
長く日経の記者として鳴らした吉野氏のこの本によって、やっと大人の書物が登場したといえよう。にわか仕込みでいきり立っただけの薄覧弱記の小僧どもには到底真似できない、成熟した筆致と分析によって西武事件の全体が俯瞰されている。
西武のオーナー家である堤家が全体において吉野氏の取材に応じ、そして冷静な心境を提供している点で、記録としての貴重さも増している。厚みと実のある分析が、昨年からの西武グループをめぐる変乱劇を見事に解きほぐしている。
大手町の駅で一人にやりと呟いてみたくさせる、自信を持ってお勧めできる一冊だ。私は、吉野源太郎を読んでいる。吉野源太郎、よく読む。それだけで十分ではなかろうか。