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マルチチュード 下 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)

価格: ¥1,323
カテゴリ: 単行本
ブランド: NHK出版
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一冊にまとめろーいっ! ★★★☆☆
政治的、経済的、文化的にボーダレスになる<帝国>の時代。真の民主主義完成のために必要不可欠である、多様性を同一化さることなく、その特異性を保ったままの<共>的集団「マルチチュード」の結成に向けた提言。
本書はその下巻であり、上巻から続く第2部の「マルチチュード」(ちなみに第1部は「戦争」)と第3部「民主主義」を収録。

大まかにいうと、現代では中央集権的な権力モデルはネットワーク型に取って代わられ、あらゆる境界線が曖昧になっていく。
戦争と平和の境界線が曖昧(つまり常にどこかで戦争が起こっている)になり、自国と他国の境界線も曖昧になり、つまりはグローバル化する。そして支配の形態も、政治という形態の垣根を越えて、経済的、文化的な形態をとる可能性が潜む、それが<帝国>(帝国主義ではない)の時代なのである。
ここまで延々と説明され(しかも繰り返しが多い)、肝心のマルチチュードになるのであるが、正直に言うともうすでに上巻で議論の要点は出尽くしている感が否めない。
特異性をそろえることなく結集した集団、つまり人種や性別、階級の異なった人々が互いの違いを尊重したまま結成した集団のことを指すのだが、それがいったいどのような集団で、どのようなプロセスを経た後に生まれるのか。その具体的な形が見えてこない。NGOなど、いろいろな事例も挙げられるのだが、それらが今までのと根本的に何が違うのかがわからなかった。
そもそもこれらのことは上巻で何度も繰り返されていて、何度同じようなことを読んだかわからない。上下合わせて600ページくらいあるが、もう少しまとめても良かったのではないだろうか。

最終的に、議論はウェブに広がるのだが、上巻のレビューにも書いたが、ネット上で完全なる民主主義が樹立するという見解はあまりに楽観的過ぎるだろう。多様化・分散化されるはずのネット上で、情報や意見が一極集中する「サイバーカスケード」という現象が起こるというのは、もはや既成の事実なのである。
ネットに限らなくとも、人が集まれば力関係が生まれる。「あの人苦手・・・」というのは日常的に起こりうることであり、時にそれは不可避的に起こってしまうことなのである。
このお二方は、どうも人類に期待しすぎのような気がしてならない。


ちょっと楽天的すぎないかい? ★★★★☆
上巻は迫力があったのに下巻にななったら息切れしている感じの内容。
それはともかく、根本的な疑問がある。
“「帝国」は寄生的で「マルチチュード」に依存しているネットワークであり、それに対して「マルチチュード」はそれ独自で存在しうる自己組織体で弁証法的な構造を有してはいない”から“「マルチチュード」であることは希望がある”というのだが、それってむちゃくちゃ楽観的すぎないかい?
「帝国」が弁証法的な構造体である、と著者は言い切っているがそうと決め付ける根拠は何なのか?
「マルチチュード」がそうであるのと同様に「帝国」も自己組織的で非弁証法的なものなのだとしたら我々はどうしたらいいのでしょうか?