希望という名の下り坂
★★★★★
経済学者と宗教学者の対談。
経済成長、政治、経済学、大学、職業、お金などについて、それぞれの専門分野の視点から語り合う。
前回の小幡氏の対談は経済を土俵にした人同士で、しかも2人の相性が合わないためかちぐはぐな印象を受けた。今回は、2人のバックボーンは違うが、だからこそ新しい視点がどんどん生まれてきていて、おもしろい対談になっている。
下り坂というのは、今まで上り坂だったという不確かな前提があるから相対的に下り坂に見えるだけである。本当に、これは下り坂なのか。もしもこれが本当に下り坂であって、これから再び上り坂がやってくることがないとしても、下り坂には下り坂の戦い方がある。どんな状況にもチャンスはある。下り坂万歳。
最近、不景気で経済に注目が集まるにつれ、経済学への注目も高まっている。しかし、2人は経済学もばっさり斬る。みんな数学が苦手だから、難解な数理モデルを持ち出されると、何も反論できなくなってしまう。一時期、構造主義があらゆる学問を席巻していたのも、あらゆる事象を二項対立でテクニカルに統計的に分析していたから。世の中の大半の文系の人間は数学が苦手だから、その手の分析をされると、ただ黙ってうなずくしかない。さすが、経済学の長所と短所を分かっている。
「99%の人は才能もガッツもない」。この言葉に、どれだけの人が救われるだろう。そして安心とともに、がんばろうという気にもなる。成長が特異な現象なのだから、成長せずにまったり生きていけるのが一番良い。ただ、それができるのは今までの貯蓄があってのことである。短期的に、不安にならない程度に、がんばることが自己目的化しない程度に、中長期的なビジョンを持ちつつ、まったり生きていけるのがいいが、難しい。なんでもそこそこにがんばるのが一番良いかもしれない。
全体的に、とても示唆ある内容です。不安を煽りつつも、不安を取り除く。下り坂の社会は、上り坂よりもある意味では希望に満ち溢れた社会かもしれない。
ニヒリストの現状分析
★★★☆☆
宮台らの「民主主義が一度もなかった国・日本」に非常に似た雰囲気の本である。特に小幡は「全ての経済は…」で「経済とはねずみ講である」と喝破したので強く印象に残ったが、本書もケインズをめった切りするなど切れ味鋭い内容となっている。内容は経済、政治…等多岐にわたっているのも特徴であり、最近の日本の不調が一過性ではなく衰退期に既に(本書では石油危機後となっている)入っているという認識が日本人によって述べられているのは現時点で大変珍しい(世界では常識)ので本書を参考になる読者もおおかろう。
本書の内容に私は異論はないが、一つ非常に気になった点がある。これは著者は終始観察者の視点であり、自身が日本人として解決しようという意欲がないのである。この姿勢をドストエフスキーなら「ニヒリスト」と呼ぶことであろう。特に小幡が「日本が内需を増やせる手段はない」と言い切るのは経済学者としてはどうか。せめて論拠を具体的に示すべきであろう。また、著者は「大学教育は振り込み詐欺」であるとする。ここまで大学を罵倒する意見を私は初めて目にするがこれは真実である。問題は著者は二人とも大学ないし大学院の教授であり、つまり両者とも詐欺師の片棒を担いでいるのである。これは非常に責められるべきであろう。中央大学の社会学者山田は、生徒が院に進学しようとすると「親が経営者でないかぎり大学院には行くべきでない」と止めるようにするという。小幡は院生を(悪意はないにしろ)小学生呼ばわりするが、飯の種である彼らに対して良心は痛まないのか。猛省を促したい。
視点を変えれば見える景色も変る
★★★★☆
端的に言えば「下り坂では安全に降りきる為にギアを落としてエンジンブレーキをかけなさい。」と言う事かな?
スピードを落とせば今まで見えなかったものも見えてくる。
見えればその事象に対する対応策も立てやすい。
本書では今の日本社会は下り坂だとは断定はしていない。
しかし過去のような成長を期待できる社会でも無い。
単に残滓にしがみついているだけだと。
でも人口が減ると言うことのインパクトはあまりにも大きい。
しかしながら政官財、そして国民自身が事の大きさが本当に見えていない。
見えていなければ何の対策も立てられない。
ただ言葉遊び的に少子化対策!を叫ぶだけで真に実効性のある政策を打ち出せない。
また仮に打ち出せても効果を出すにはかなりのタイムラグがあるので
実際に進行する人口減に追いつかない。
ならば少子化を前提に社会の仕組み、我々の価値観をまず変えて対応すべきである、と。
たぶんこれが本書の基本認識じゃなかろうか。
そのことを軸切り口にして現状を分析し、政治・行政・経済学・教育各分野の問題点に切り込んでいっている。
下り坂のときは、リラックスして無理するな。
★★★★☆
宗教学者の島田氏と経済学者の小幡氏が、高齢化、人口減少、
縮小する経済、官僚組織の衰退など、下り坂にある日本を語る本。
都市と地方、政治、経済、職業、大学など幅広い分野について
お二人とも、かなり大胆な発言を連発していて、相当面白い。
例えば、小幡氏は、
「行動経済学者自身も、行動経済学とは何かまったくわかっていないんじゃないですか」とか、
「ビジネススクールは、小学校そのものです」なんて言っているし、
島田氏は、
「サラリーマンの仕事なんて、そんなに創造性のある仕事じゃないわけですよね」などと、
挑発するような発言をわざとしている。
良い指摘だと思ったのは、バラまきだと批判される「子供手当て」について、
民間に対する介入度合いは小さく、実際は「大きな政府」ではない、と分析している点。
違うだろうと思ったのは、地方から都市に出て立身出世という流れが終わり
地方に定住する流れに戻っている、という点。地域コミュニティが復活してきている
ことを根拠とするが、例としてあげられている世田谷区は、地方とは言えない。
地方の衰退は、想像以上に深刻で、都市としては存続できないところも出てくると思う。
しかし、「下り坂」というのは、数値的にはそうだが幻想であり、成熟して豊かだという
面もある。決して悲観的に捉えてはいけない、と最後にまとめていて、「下り坂」というのは、
実はマスコミに踊らされているだけなのかな、と思った。
時代を穿つ幾つかの経済コメントが印象に残る
★★★★☆
小幡績氏と同氏が「私の文筆家としての師匠」(6頁)と呼ぶ島田裕己氏との対談集。軽快なテンポで進む会話が脳髄を知的に刺激し心地良い。勉強になった。
「企業支援っていうのは、有権者に餌をばらまく効率的なルートどころか、非常に非効率なルートになってしまいました」(48頁)。
「日本のような成熟経済というのは、今までの蓄積、ストックがいっぱいある経済だから、フローのGDPが増えたかどうかということが、あまり関係なくなっている。・・・ 資産の価値が上がったかどうかがより重要な経済になっているんです」(84頁)。
「観光客を呼んだ方がいいですよ。だって、移民は稼いだ以上の消費はしませんから。簡単に言うと、仕事が減るだけだということです」(147頁)。
思えば、「子ども手当」のような生活者への直接的なアプローチは、消費者に一種の経済的「投票権」(economic voting rights)を付与するものであり、消費者がそれを行使することで遅れた企業を退場させるいわば「もっとも効率的で優秀な企業を、市場で消費者が選抜するというメカニズム」(51頁)として機能するのであろう。しかし一方で、それが死蔵リスクを常に伴うものであることも、また事実であるように思われる。