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Edward Hopper: 1882-1967, Transformation of the Real (Basic Art)

価格: ¥1,137
カテゴリ: ペーパーバック
ブランド: Taschen America Llc
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リバモア的 ★★★★☆
ホッパーの絵を見て「都市生活者の孤独」とか
「人間の不在の不気味さ」を感じる人は、恐らく
メンタリティに於いて、ジェシー・リバモアと同じ。

こういうタイプの人は、どれだけ儲けても「こころが
満たされない」ので、「人間関係」やら「家族の絆」やら
「人としての暖かみ」やらを求めてしまう。
大都会の人間の孤影が身にしみる ★★★★★
 本書に収められたエドワード・ホッパー(1882-1967)の絵を見ていると、ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)のサスペンス小説に出てくる人物の姿を思い出します。カバーを飾っている有名な『Nighthawks』もそうですが、ほかにも、『Night Shadows』『Night Windows』『Compartment C』『Automat』といった絵の中の人物の姿に、大都会に生きる人間の孤独な影が描き出されている気がして、そこにアイリッシュ作品とよく似た雰囲気を感じるのです。
 また、そこへは行きたくない、ぞっとさせられる絵も印象深いものがありますね。看板に「Mobilgas」と書かれたガソリン・スタンドに、男がひとり。その背後に一本の道があって、それが黒々として静まり返った森の中へと入って行く・・・・・・。『Gas』というこの絵(本書の26〜27頁)などは、とりわけぞおーっとさせられる怖さがあります。『Solitude』や『Railroad Crossing』に描かれている家も、中が黒く塗りつぶされていて見えない上に、家そのもがぽつんと置き去りにされたように建っているので、不気味な印象を受けます。今しも、絵の中の家の中で、死に至る犯罪が行われているところなんじゃないか、とか。
 本書の78〜79頁の見開き二頁にわたる『Nighthawks』(1942)の絵は、本当に素敵ですねぇ。白い帽子と上っ張りを着たウェイターがひとり。食堂のカウンターに、こちらを向いて座る男と女の客と、後ろ姿の男の客がひとり。くっきりとした夜の光の中で、何かが始まるのを待っているような彼ら、四人の絵の中の人物。この絵が出てくる小説に、スチュアート・ダイベックの『夜鷹』があります。短篇集『シカゴ育ち』の中の一篇。
アルフォンス・ミュシャと表裏一体 ★★★★★
私の好きなフランスの画家に、アルフォンス・ミュシャという画家がいる。この人は、幻想世界のリアリティを、商業芸術として追求した人なのだが、エドワード・ホッパーと似たものを感じてしまう。勿論、作風は極端に正反対なのだが、ミュシャが幻想世界の現実性を追求した画家だとしたら、ホッパーは逆に、現実世界の幻想性を追求した画家だと思う。表現のベクトルは正反対だけど、ミュシャとホッパーという、この二人の異端画家には、まるでコインの裏表のような類似性を感じてしまう。興味のある方は、両者を見比べるのも面白いかも知れません。
フロイトとユングを抱えた少年 ★★★★★
 ホッパーを描いたカリカチュアを見たことがある。やせて神経質そうな少年が分厚い本を二冊抱えているもので、一冊にはフロイト、もう一冊にはユングと書いてあった。
 大都会の孤独。かれの作品を見るものは誰しもそれを感じとるだろう。複数の人間が描かれた作品でさえ、そこに「会話」がないものが多い。歴史もなく、風土もなく、絆もなく、分断された「個」となってしまった人間たち。お洒落なティールームの中で、開放的なモーテルのソファの上で、ピアノのあるリビングで、かれらは満たされない表情をして黙っている。風景を描いても同じだ。灯台も、ビルも、ガソリンスタンドも、ドラッグストアも、トンネルも、深い孤独と空虚感をただよわせる。
 20世紀前半の米国の姿は、今や他国の話でも過去の話でもない。何もかも手に入れたはずの文明生活。しかし何かが失われている。欲望を原動力として突き進んできた資本制社会。大量消費社会。はたしてそれは正しいものだったのか。つき動かされてきたものからふと我にかえったとき、わたしたちもかれらのような表情を浮かべてしまうのではないか。…怖い作品たちである。