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〈声〉の国民国家 浪花節が創る日本近代 (講談社学術文庫)

価格: ¥1,008
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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明治の浪花節界の大立者、桃中軒雲右衛門の声は悲憤慷慨調だったという ★★★★★
明治東京の三大貧民窟の一角、芝新網町で生まれた浪花節が、世間から低劣・下等に見られながらも大衆の心をとらえ、娯楽の王者として日本の近代化を側面支援する過程を描く。
浪花節語りは師匠に入門すると擬似家族のようになったそうで、親分―舎弟の関係はヤクザを連想させる。演目は侠客もの、仇討ちもの。どれも義理人情と主君への忠孝を訴え聞き手を鼓吹する。
著者は、大衆の心を揺さぶる浪花節の声が、階級差を溶解させ帝国臣民としての自覚を醸成した、日本に社会主義がついに根付かなかったのはこのためで、治安当局の弾圧ではない、一君万民幻想がやがて2.26事件へと発展し昭和の破局に至った、という。左派の歴史家の好みそうなロジックだが当たっている部分もあるかと思う。
浪花節の源流であり現在絶滅した芸能である、ちょぼくれやデロレン祭文についてもかなり詳しく解説しているので参考になる。
祭文語り計見一風の巡業チラシとか演目一覧とか珍しいデータもたくさん載っていて楽しい。
国民国家の理念形成における芸能の役割 ★★★★☆
日本の近代国家の形成に関する従来の説を覆すユニークな書。
これまで明治以降の国民国家(天皇制国家)の理念の形成に大きな役割を果たしたのは父権的な家族制度であると言われてきたが、本書はこの説を覆して、明治期に登場した浪花節が語る物語とそのメロディアスな声こそ、その役割を担ったとする。

特に、仇討ちもの(赤穂義士伝)、侠客もの(清水次郎長伝)、人情もの(唄入り観音経)といった浪花節によって語られる親(主君)と子(臣民)の義理人情のモラルが、明治以降の天皇制(親としての天皇と子としての国民)の精神的支柱になると共に、そこで語られる既存の法と秩序への反抗の心性(ルサンチマン)が明治以前の封建国家の秩序を破壊する役割を果たしたという主張は、多くの資料を駆使して大いに説得力がある。そして、その天皇制国家という理念が、浪花節の声や節を通じて、日本人に情緒的・感覚的・生理的に受け入れられた、ということになる。


ただ、日本人の意識に「均質幻想」が生じたのは、ファミリーのモラルを説く浪花節によって、親たる天皇の赤子として国民はみな平等だとする平等幻想が大衆にもたらされたためだという説はやや説得力に欠ける。浪花節的な心性を持たない現代の若者にこうした「均質幻想」がむしろ強まっているからだ。また、浪花節が結果として否定的に語られているのも気になる。浪花節や説経節といった語り物には大きな魅力もあるはずだ。著者は浪花節が好きなだけに、その魅力と可能性についてもっと言及してほしかった。

とは言っても、本書は、政治と芸能という異質なものの接点を探る大掛かりな試みであり、その点では成功している。日本近代史に関心のある人だけでなく大衆芸能に興味を持つ人には大きな示唆を与えるだろう。

下層民の芸能とファシズム ★★★★☆
 アングラ演劇の座付き作者兼役者の弟である、1950年生まれの日本中世文学・芸能論研究者が、20年近くにわたるフィールドワークの成果も踏まえて2000年に刊行した本を、9年後に文庫化したもの。貧民街は、願人坊主、乞胸などの集住地であり、チョボクレ、デロレン祭文、大道講釈などの門付け・大道芸が、そこから生み出されていった。社会から賤視された周縁的存在であった彼らは、それゆえにこそ制度外の(場合によっては体制批判ともなり得る)家のモラルを担い、擬制的な家族関係の下で口頭芸を発展させ、封建的なモラルと法制度との軋轢を体現する「赤穂義士伝」など、日本全国に共有される物語を流布させてゆく。浪花節はこうした「賤民」の芸能の中から生まれ、日露戦争期の「新網芸人」桃中軒雲右衛門(1873〜1916)の活躍とラジオ放送(1928〜)によって、講談・落語を凌ぐ大衆演芸となってゆく。浪花節は、周知の義理人情の物語を口頭で演じ、聞き手である都市の不安定な大衆との間に一体感(声の共同体)を醸成し、知識人主導の社会主義思想への防壁の役割を演じると共に、君民一体の家族主義を国是として掲げる明治政府において、ファシズムへ道を開く役割をも果たした。寄席やレコードでの雲右衛門の口頭芸を、同時代の漱石の文学とセットにして分析することによって、初めて日本の近代文学がトータルに分析できると考える著者は、柳田民俗学が周到に浪花節を口承文芸研究の対象から除外したことを批判し、浪花節が近代日本において果たした重要な役割を、批判的に復元しようとする。私見では、本書が浪花節をナショナリズムと直結させる論理が見えにくく、より多様な可能性が想定されるようにも思われる。むしろ本書で詳しく論じられた、「下層民」の生活と諸芸能との結びつきの方が、私には興味深かった。