太平記原典を読むだけでは、わからない世界
★★★★☆
作品そのものとしての太平記と、歴史の中の太平記の違いを教えてくれる本です。作品そのものも重層的で、歴史的背景を考慮しなければ読みづらいですが、歴史の中の太平記の存在はさらに重層的なようです。
日本で昔からよく読まれた史書として、「平家物語」「日本外史」そして「太平記」がよく上げられます。したがって、歴史や日本そのもの、日本人の精神に興味がある人の中には、当然「太平記」の原典を読む機会がある人もいるでしょう。そういう人にとっての楠木正成のイメージと、歴史の中の太平記に想起される大楠公のイメージは、大きく違うようです。
歴史上の人物にまつわる伝説が、それが事実であろうとなかろうと、歴史そのものを突き動かすことがあるということも教えてくれます。
特に「六韜」(太公望作といわれる偽書)=「張良の一書」→聖徳太子→楠木正成という兵法継承のイメージや、楠木正成=「忍者の元祖」のイメージが、個人的に、新しい歴史的な視点を与えてくれました。
歴史とは、事実の集積だとおもいます。しかしその事実の中には、伝説の存在や、それを信じていた人がいたことや、そこから、新たな事実がうまれたことも含まれるということも考えなくてはいけないなと思いました。そういう意味で、歴史(history)とは「his story」、つまりひとつの物語のようなものであることを痛感しました。