〈悔恨〉と〈赤〉、あるいは、〈悔恨〉の〈赤〉
★★★★★
まずは、表題作「ワンちゃん」について。本書帯に、「中国人女性・ワンちゃんが、「婚活」のために悪戦苦闘」とあり、はて、それでは、〈ワンちゃん〉自身が「婚活」に励む話なのかな? と思いきや、さにあらず。〈ワンちゃん〉は日本人の男性と中国人の女性との間に立ち、「婚活」をプロデュースするのに〈悪戦苦闘〉する。だけの話かと思いきや、さにあらず。太宰治は、悔恨の無い文学なんて、へのかっぱです、みたいなことをどこかに書いた。他人を〈幸福〉へと導こうとする過程で、自分の〈不幸〉が浮き彫りにされていき、〈ワンちゃん〉は深い悔恨の世界へと引きずり込まれる。〈ワンちゃん〉は、物語が幕を閉じて後、新しい一歩を踏み出すのだろうか?
表題作と併録作との共通点としては、主人公を襲う悔恨の念が――特に併録作においてはそれが顕著に――、痛々しいくらいに、しつこいほど丁寧に、書き込まれていること、〈赤〉という色彩が印象深く登場していること、などが挙げられるだろうか。
併録作は、こりゃ、他人事とは思えないな、という箇所がいくつかあったが、なんだか、恥ずかしいので、具体的に書くことは控えておく。
またしてもまとまらないレヴューになったが、詳しくは、本書を手にとってご確認のほどを。
設定に無理が多い
★☆☆☆☆
「時が滲む朝」を読み面白かったので、この作品を手にしました。
私は登場人物が中国人かどうかを別にして、一冊の小説としてこの作品を興味深く読むことができませんでした。
国の事情とは関係のない悲劇が多すぎると感じます。「老処女」についても同じです。
その悲劇も原因が本人にあるものや、意図的に主人公を悲劇にいたらせているだけで、物語の中で必要性を感じられないものがとても多くありました。
私は「悲劇」を題材にすることを否定しているのではありません。
設定上無理のある悲劇が多すぎるという意見です。
女性として、国を越えて感じるものアリ
★★★★☆
表題作「ワンちゃん」と「老処女」の二編。
軽い文体で、内容はなかなかグロテスク。一読しての、彼女のスタイルへの感想です。文体がまるであぶらとり紙のように軽くさらさらで、それ故ぐんぐん読み進められるんですが、何とも云えずモノ哀しい気分になる。
これはある程度年取った女に共通の感情が内包されているからでしょうか?
今時日本に暮らす女性の大部分が、女性性と若さという特権を良く理解し、それをうまく利用しているように感じます。
しかしそれが利用できなくなるいつかがくる。その”いつか”、今までのような扱いをしてもらえなくなり、嘲笑と同情の対象になる。
何となくそんなことを思いました。
しかし「老処女」は読んでいて哀しくなりましたね。
ああいう思考の人、絶対いるもん。
運命・・・しかし、ここは運命ではなく宿命としたほうが正しかったのではないかなとも感じました。
運命は自分で変えられるもの、宿命は定められた不変のもの、じゃなかったですっけ。
他の作品も読んでみたいと思わせる作家さんです。
そして、やっぱり中国と日本って、結構違うんだなあと思ったり。
一説によると、同じような容姿をして違うことをされるのが一番腹立つらしいです。
だから同じ人種間のほうが、差異によるトラブルが生じやすいとか。
文書におかしな所はあるけれど
★★★★☆
しかし、この作者の目線はいい。
日本に物質文明で遅れをとってしまった中国。その中国では、まるで昭和に起きた
ような出来事が起こっている。その波をくぐり抜けて日本にやってきたワンちゃん。
果たして幸福になれたのか?
昔、日本から西洋へいくのが憧れだった時代があった。
幸福の青い鳥はどこにいるのか?
日本人がこの大不況の時代、今一度、自分自身に問いかけてみる必要がある質問に対して
ワンちゃんは答えを出してくれているのかもしれない。
老処女に体中痛くなる
★☆☆☆☆
この文章で芥川賞候補とは驚愕であるぅ〜。。。何も面白くない。
常に奔走するワンちゃん、、、とても哀れに思えた。ただ、お姑さんと仲良くやっている、
田舎に溶け込んでいる姿は微笑ましい。
それより、この本に収録されている「老処女」の方が、大変気になった。
つまらないを通り越して嫌悪感でいっぱいで、読むのをやめたい、やめたい、やめたいと
思いながら、苦痛で体中に痛みを感じながらも、根性で読んだ(笑)。
45歳で、処女で、男性との交際歴もなく、子宮筋腫だというのに手術も受けず、
目が合ったというだけの先生に、「白馬の王子様」「運命の人」だと思い込み、
思い込むのは勝手だが、相手も、自分に運命を感じているという全く根拠のない自信、
思い込み、そして、まだこれからでも子供を産もうと、産めると思ってる。
(誤解しないで頂きたいが、45歳だから子供が産めないというのではなく、
なんの経験もなしに、しかも筋腫の手術も放置しといて、決まった相手がいるわけでも
ないのに、という意味である)。
あきれた話である。こんなバカバカしい話につき合わされているのがとても苦痛だった。
真剣に「相手も運命感じてるの」などという相談を受けた主人公のお友達、否定すると
「何故信じてくれないの?!」って、電話もしたことがなければ、デートもした事も
誘われたこともないのに、目があったというだけで、相手も運命感じてるなんて話を
誰が相手にしようか…?
私の知人でも、この根拠のない思い込みをする女性がかつていたので、余計に
気持ち悪くなった。
これは、ユーモアとして笑い飛ばさなければいけないのかね…?無理だな…。
しかし、嫌悪感という存在で強く印象に残った作品である(不名誉ながら…)(苦笑)。