まだ若えな。大きい薬缶は沸きが遅いんだ。
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上巻ではまったく売れなかった志ん生も、下巻に入って四十を過ぎたあたりから、徐々に売れ始める。だけど、何で売れ始めたのか?決定的な転機があったようには思えない。こればっかりは風向きっていうか、流れっていうか。ひとつ言えるのは「続けていたから」ってことだろう。もちろん、続けていたからって誰もが売れる訳じゃない。そこは運だ。でも続けない限り、チャンスはそこで途絶えてしまう。まぁ志ん生とは比べられないけど、きみまろだってこだまひびきだって、続けていたからこそのブレイクなんじゃないだろうか。
志ん生が、カミサンもらって子供3人出来て四十過ぎてから売れたってのは、芽が出なくても夢を追っかけ続けている人にとっては希望である。一方で「カミサンも子供も食わしていかなくちゃいけないし」とか「俺もいい歳だし」って御託は言い訳でしかなくなる。志ん生がある程度食えるようになって、当時二十歳の長男・清(金原亭馬生)に言った「まだ若えな。大きい薬缶は沸きが遅いんだ。焦ることはねえ。(中略)小鍋はじき熱くなるが、さめるのもじきだからな」なんて言葉も、志ん生だからこそ説得力を持つし、ジーンと勇気が沸いてくる。
ところで、下巻はこうした志ん生の名言が多い。「酒がいちばんいいね。酒というのは人の顔色をみない。貧乏人も金持も同じように酔わしてくれるんだ」とかね。
下巻の後半は、前座時代の“仲よし”、ゲロ万こと小西万之助を皮切りに、どんどん仲間が死んでいって、悲しい。妻のりんが死に、文楽が死に、そして志ん生にも寿命がやってくる。享年八十三歳。体調を崩し最後の高座から五年たっても死ぬまで独演会の望みを捨てなかった、その芸人としての生き様が美しいし、うらやましい。上巻は星四つ付けたんだけど、上下巻通して文句なしの五つ星である。