その内容は「竹内文書」に似た部分あり!
★★★★☆
奇想天外、奇天烈大百科・・・の感が否めない本書の内容ではあるが、現在の人類の祖先が約40万年前にこの地上に現れたとする定説も、完全に証明された訳ではないので、著者の論旨も頭から否定出来るものでもないのだろう。
ある中国の古代遺跡に関するルポ本でも、「かつては緑地だったゴビ砂漠に30万年前の人の靴跡らしきものが、残っていた・・・」と驚きの内容が書かれていた・・・しかし、本書はそれを遥かに凌駕する5000万年前、あるいは2億年前に存在していた人類(地球人ではない、と著者は推論しているが)の生活様式や医療技術、科学文明・・・について記した絵のメッセージが、このイカ線刻石であるとしている。
さて、この絵のメッセージを記したのは誰か?・・・という疑問には、「先進的な文明を持つ宇宙人達だ。」と、著者は断言されているが、私にはどうしてもそう思えなかった。・・・
その理由の1つめは、絵のデザインがどう見ても、古代に心臓移植技術まで持っていた高度な知性を持つ人間によって、書かれた・・・という雰囲気はしないのだ。なるほど、菱形の記号は動物性を示すとか、ピラミッドの記号は電気的なエネルギーの集合体を暗示してる、とか知的センスを感じさせる発想はあるのだが、絵全体の構図を見れば、描かれている人間はパンツ1丁で素足、手の長さも不自然だし、腹も出て太り気味・・・頭には葉(これは生命エネルギーの象徴だと著者は論じているが)を付け、まるで昔のインディアンの姿そのものである。(とても、宇宙人という印象は受けない。)それに加え、絵の中に星型が書かれているが、これは太陽級の恒星を意味するらしいが、その描かれ方がいかにもフリーハンドで「そそくさと適当に書きました。」・・・という感じが否めないのである。
・・・しかし、確かに石に描かれている描写は「外科的な脳移植手術」や「恐竜を食用として飼育」?している様な驚きの絵図である事は間違いない。私が思うに、確かに太古の昔に絵で描かれている様な高度な科学力を持つ人間がいたのだろうが、その絵を描いたのは紛れも無く、そういった人間達がもう地上から姿を消した(宇宙に帰って行ったか、戦争で絶滅したか)後で、その言い伝えを知る原始的なインディアン達が、彼らを偲んであるいは讃えてか?彼らなりに想像力を働かせながら、当時の生活や文明の様子を残したのではあるまいか?・・・尚、絵に描かれる人間達がインディアンの格好をしているのは、「大昔、この様な優れた技術力を持っていたのは、紛れも無く私達の先祖でしたよ。」と伝えたかったのかもしれない。・・・・・
グリプトリスはかく語りき
★★★★★
「超次元の扉―クラリオン星人にさらわれた私」が思いの外面白く弾みが付いたので、書中で登場したガブレラストーン(イカ線刻石)に繋げてみました。超古代の話を現存の『物証』で付き合わせようとすると、手っ取り早いのがそれ。しかしながら、ニセモノ扱いで決着が付いたとの紹介もあちこち見受けられます。その怪しさがまた面白い部分でしょうか。
著者であり発見・研究の第一人者カブレラ氏は、考古学その筋の専門家達に全く持って信じて貰えない、また捏造報道や反証があったことを述べています。そして『製作者』に扮する『本人』が登場する場面では、それなりに考察や反駁を加えながらも博士にとってはさもありなんと言った呈で、それよりも石の真贋、その分類方法や描かれた図柄の解読に、また貴重な研究石を守ることや検証を繰り返し信念を証拠付け確固たる礎を築くことへの熱意を感じます。
さて、カブレラストーンの写真は私には稚拙な図柄にしか見えなかったんですが、信じ込まされた地球・人類の歴史がリセットされてしまう程の意味合い、高度な英知が凝集されたシンボルや直感に訴えるデザインを原始的手法にて表現し永劫の空白に勝利をもたらした記録メディア。傍証や推理も加えながらの博士の魅惑的解説にへぇ〜と聞き入る学生の如しです。でも、宇宙の話に入ってコホーテク彗星に至る頃には情熱が理知に勝り始める雰囲気あり。ホントかな。
研究者、まずそこにおいてはカブレラ氏は真実じゃないかと感じました。推して研究対象も内容も真を帯びる。権威の鎧に安穏しない果敢な探求姿勢です。喝采です。これもまた未知なる世界への道しるべ、あるいは事実想起、人類覚醒の切り札になるのか。興味が失速しなかったので減点無しの満点です。故人となられた博士の冥福を祈ります。
人類の遺産であり、更に研究を望む
★★★★★
本書はカブレラストーンについて研究の第一人者の成果を本邦初公開した一冊である。
恐竜は成体になるまで変態する。恐竜と人類が共生していた。人類が脳外科手術をしていた。など人類歴史を根本から見直すことになりかねない内容が線刻石にある。
賛否・真偽・物議を醸し出すのは間違いないと思う。しかしながら、何が正しい正しくないということでなく、これから歴史に貢献する要素のあるものを考古学者のプライド・権力でもみ消す愚行を許さない勇気も必要である。