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マインド・タイム 脳と意識の時間

価格: ¥2,940
カテゴリ: 単行本
ブランド: 岩波書店
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面白い実験である。が、意識まわりの研究は始まったばかり・・・ ★★★☆☆
面白い実験である。
が、分析と考察は一部間違っているのではないか。

1.何かが意識に上るには、大脳皮質での神経活動が最大で500ミリ秒持続
しなければならない。

2.「今、動こう」と”意図が意識に現れた”時点を、筋電図発現(=筋肉が活性化する時)の200ミリ秒前としている点。(もしくは、次の実験から-50ミリ秒修正して150ミリ秒前としている点)
  ・”意図が意識に現れた”時点での”時計が示す時点”の報告が
   200ミリ秒前であったからそう結論している
皮膚刺激を手に与えた実験で、皮膚感覚があったとアウェアネスがあったときの”時計が示す時点”の報告が、実際に刺激を与えた時点よりも50ミリ秒早かった実験結果。

1.は、皮膚刺激などの体性感覚については分かった。認めよう。しかし、視覚や聴覚では事情が違うのではないか? というのも、視覚では100ミリ秒だけ見せられても、意識できるし、2.のように速く動いている時計の針でも認識できるからだ。

2.は、視覚刺激そのものが脳に認知されるのに最低100ミリ秒位かかると言われている。
(注意:意識されるのに、ではない) つまり、時計の針の位置を脳が認知するのに最低100ミリ秒位かかるのだ。(著者は、第1次視覚野での初期誘発電位反応が30〜40ミリ秒後であることから、体性感覚(5〜40ミリ秒後)と同時に起きていると感じると考えているようだが、高次視覚野(70ミリ秒くらいかな)に情報が入らないと時計の針と認知できないから、その時に脳が認知しているものは、ちょっと前の時点の別物だ)
 逆に、筋電図発現の100ミリ秒前に”200ミリ秒前に時計が示していた時点”を見た;
皮膚刺激を脳が認知した=50ミリ秒後くらいに、その時点で脳に見えていた”時計が示す時点”、つまりその時より100ミリ秒前=皮膚刺激の50ミリ秒前 時点の”時計が示す時点”
を脳が見ている最中であった、と考える方が自然・より近いのではないか。
神経事象と意識の関係を、実験によって解明しようとする物語 ★★☆☆☆
脳神経科学者であるベンジャミン・リベットが行った「感覚」「意識」に関する実験から得られた知見の紹介と、その知見に基づいた彼なりの「自由意志」に対する仮説の紹介がなされているのですが、同じ内容の繰り返しが多く、文章が冗長で論点がぼやけてしまっており読み通すのに苦労しました。

著者が実験から得た知見を簡単にまとめると
1.刺激感覚が意識されるのにある程度の時間がかかる
2.その遅れをさかのぼりあたかもその時間の遅れがなかったかの様に補うメカニズムが脳にそなわっている
3.刺激時間が短く意識されない感覚であっても脳としては認識している
4.「自由意志」で何か行為を始めようと決定したと本人が思った瞬間よりも前に実は脳で神経活動が始まっている
の4つです。これらをどの様な実験によって確かめたかを延々と紹介しているのですが、その記述がいかにも冗長です。

後半で彼なりの「自由意志」に対する「精神場理論」と言う仮説の紹介がなされていますが、残念ながら彼が行った系統的ではあるがあくまでも限定された脳活動に対する実験から得られた知見にのみ基づいており、とうてい脳全体の理解に敷衍するには無理があると思われます。

カール・ポパー(科学的発見の論理 上、科学的発見の論理 下)の「反証可能である仮説のみが科学的仮説である」の立場から、推測や議論に立脚する形而上学的脳神経学ではなく、あくまでも実験によって仮説を一つ一つ証明することによって脳神経「科学」たらしめようという苦闘の物語とも読めますが、「自由意志」「意識」「魂」「自己」などに関して脳神経科学が答えを出すにはまだまだ果てしなく長い道のりが前途に横たわっているのだなと言うのが本書を読んだ実感です。
我々は0.5秒遅れた世界に住んでいる ★★★★★
脳化学の本で数多く引用されているリベットの実験が、本人の手でわかりやすく書かれている。
また、リベット自身の心身問題への意見も書かれている。そちらも興味深い。

彼の実験は以下のようなものである。
まず被験者の脳に電流を流すと、それが0.5秒より短い場合、被験者は何も感じない。
また、被験者の脳に電流を流し、その0.5秒後に手に針で刺激を与えると、被験者は二つの刺激が同時におきたと感じる。
手からの刺激は、脳に刺激需要時のシグナルが残っており、0.5秒たった後に、体感時間を0.5秒分戻すのだ。
つまり、われわれの知覚は0.5秒遅れているのだ!

また、被験者に好きなときに腕を動かしてもらうようにいうと、被験者が意志を持つ0.5秒前に脳はすでに動き出していることがわかる。
このことは、我々の自由意志がフェイクであることを示している。

ただ、我々には、無意識から起こってきた意志を拒否することはできる。
リベットは、完全な決定論を取らない。


リベットの心身問題への見解は、かなり二元論に近い(彼自身は違うというが)ものである。
彼の論は、脳という物質空間と密接な関係を持つCMF(統一された意識をともなう精神場)が存在するというものだ。
そのCMFは、脳の存在が不可欠だが、CMFの動きは、通常の物理法則とは異なっている(かもしれない)とする。



実験自体は非常に興味深いものだ。
脳と心、自由意志の問題を扱うなら、彼の実験を知らないものはいないといってもいいだろう。
それが彼の口からわかりやすく語られているのはとてもよい。


しかし、より哲学的な心身問題については、リベットの見解には疑問がある。

まず彼は、デネットやサール、チャーマーズといった哲学者の論に対する反論として、反証不可能ということをあげることが多い。
しかし、反証不可能性のテーゼは「科学」であるか否かの基準として用いるものである。
したがって、生物で創造説を教えようとする人々や、マルクス主義を科学と称する人々は、その反証不可能性を元に批判されてもしかたがないが、上記したような哲学者たちは、果たして自分の論を科学だといって主張したのだろうか。
もしそうでないなら、反証不可能性によって彼らの論を直ちに退けることは出来ないはずである。
それに、科学に扱える範囲には限界があるのだから、リベットが提示する理論は科学の枠内ではもっとも妥当性が高いものかもしれないが、科学ではない論を誤りだとして退けるほどに強いものだとは言えないだろう。

また、彼のCMF理論は検証可能だという。
確かに彼の提示する実験が成功した暁には、その理論の正しさは保障されそうである。
しかし、逆に言えば、彼の提示する実験が、彼の予想とは逆の結果を出した場合、唯物論的理論やアスペクト論、決定論のほうが正しさを得ることになるだろう。
であるとするならば、実験が行われていない現在は、決定論や唯物論とリベットのCMF理論とは同程度の確からしさしか有していないといえるだろう。
非常に興味深い内容だが、読むのに根気がいるのが難点 ★★★★☆
 述べられていることは非常に興味深い。この実験結果に基づく学説が、その意外性のために最初はまったく受け入れられなかったのも無理はないと思う。私も実験事実は受け入れるとしても、欧米の哲学の根元である「自意識の存在」がゆらぐような意思決定の仕組みには驚いた。著者もわざわざデカルトを蘇らせて、自意識といかに両立するかという架空対談を行うに至ったほど、意外性のあるものだ。
 しかし本書で著者が一番言いたかったのは、斬新な学説ではなくておそらくこのフレーズである。「実験上の発見は多くの場合、直感に反した結果と独創的で創造的な推論をもたらします。おそらく量子力学ほど直感に反し、常識と対立するものはないでしょう。それにも関わらず、量子力学は物理の大きな柱と考えられており、実験による観察の結果を正確に予見しているのです」
 量子力学が、直感に反する結果を実験で検証した結果、今は物理学の基本事実として君臨しているように、著者が専門とする大脳生理学においても、実験科学者としての著者の業績が共通認識として光り輝くのだということだ。
 しかし、私にとって本書は読みづらいこと甚だしくて、何度も投げ出してしまった。
 まず序文が重すぎる。さらに最初の章も、理論先行で実験による再現可能な検証が軽んじられてきた事に対する積年の恨み辛みが噴き出したようでいただけない。これから読むのであれば、いきなりから2章から読み進めるのが適切だ。それでも訳者による訳注が挟み込まれないと著者の意図が分かりにくい文章だったりするので、読了するのに根気を要するだろう。そのときは翻訳者のあとがきが一番簡潔なので、こちらを読んでからの方が入りやすいだろう。もっとシンプルに、わかりやすく書いて貰えれば、さらに読者層が広がるだろうにと思える。
 
意識とアウェアネス ★★★★★
リベットは、意識が気付くためにはその刺激が最低400ミリ秒の時間の持続がなければならないこと、結果的に人の認識は0.5秒遅れるというセンセーショナルな発見をしたことで有名です。本書でもその実験経緯などが専門家でなくてもわかるように平易に説明されています。
さらにリベットは、この「認識の遅れ」の発見から、本書で非常に示唆に富むいくつかの理論をあげています。その議論はスポーツ選手の身体を動かす自覚から、芸術家の創造性、哲学、宗教まで多面的で興味深いものです。大脳生理学の本ということにとどまらず、生物的な現実に基づく人間の思考に関する考察の書として読むことができます。彼の論点は非常に射程の長い興味深い議論です。一読をおすすめします。