携帯+クラウドがゴールではない
★★★★☆
これからのコンピューターの価値はクラウド、モバイルを超えてどこに向かう可能性があるのかを学びたくて購入通読
読んでみると、コンピュータがどのように成長してきたか、これからどのように成長していくかを述べてくれている書籍だと感じた。情報技術の主戦場がPCからネットワーク上のクラウドへ、出力デバイスがディスプレイから携帯へなど的確な分析が繰り広げられている。また、これから現れるであろう世界のさきがけとして世界の2重化を定義してくれている。実際に今のリアルと照らし合わせると確かに仮想世界と現実世界の二重化は目の前に来ている感がある。HMDにセカイカメラが搭載されたらどれだけのわくわく感を個人に与えられてくれるのか?また、情報の統合により新たないメリットが生じる可能性があるという点もこれからの情報の価値を位置づける価値観として持っておきたいと感じた。クラウドにより加速度的に進むと考えられる。
面白かったです。夢物語的なシナリオを提示してくれている感もありますが、技術の進歩の速度に裏打ちされた世界を提示してくれているので、近い将来訪れるシナリオを頭の中に描きそれに対応できる自分を考えるのに非常に役立ちました。
こなれの悪さ
★★☆☆☆
インターネットが生活に浸透してきた経緯、PCのディスプレイの今後、「環境化(人を取り巻く、当たり前のインフラになること)」していくコンピュータ、そしてセンサーとコンピュータが街を埋め尽くし、コンピュータの中に生活空間が構築される近未来社会――。こうした方面をもっぱら専攻する研究者のリポートということで、この方面にあまり深入りしていない評者にしてみれば、針小棒大風のSF的将来図にいくつも付き合わされたな、というのが率直な感想。それなりに勉強はされているので「箸にも棒にも」とは言わないものの、全体としてはがっかりだった。
例えば「ラブプラス」という「日常的な趣向」のゲームに対する過大な評価▽「仮想空間での体験と現実の体験の差異が縮まれば、より小さなコストの体験が選択されるのは自明」(8頁)と語る浅薄さ▽「ここ十数年、日本人にとって携帯電話は繭であり、子宮であった」(180頁)と総括する軽薄さと、表現のつたなさ――。IT至上主義者によくみられる、自らの予測への過剰な自信、大抵のことはデジタル文化論でカバーできるとする錯覚などが随所にうかがわれ、知らなかったエピソードに対する読み手側の小さな驚きを相殺してしまう、まとまりの悪い気取った文体がそうした「こなれの悪さ」に拍車をかけている。
著者にとっても次世代のデバイスは雲の中
★★★☆☆
モバイルコンピューティングの次のデバイスは何かを期待して読み始めました。
ところが初っ端から「1984年」のような世界が描かれていました。
コンピュータがモニターという出力装置を得てから50年がたち、その本質には大きな変化がないことなどを振り返り、現在研究中だが革命的とはいいがたいハードウェア(iPad, iPhoneを含む)を紹介しています。コンピュータの歴史と近未来、また人との関わりを述べています。どうやら著者にとっても次世代のデバイスは雲の中のようです。
コンピュータが演算能力を持つ器械から、世の中の仕組みになること、すなわち「1984年」のような管理社会への警鐘の本といえます。
近未来のIT環境を描く刺激的な1冊でした
★★★★★
題名や帯のiPadの写真から、てっきり、携帯電話のあとに来るモバイル端末の話かなと思ったら、全く違った。
副題の「ITとヒトの未来図」にあるように、ITの今後の技術の発展と人間の生活の関わり、変化が刺激的な文章で書かれている。
iPadの話とかも出てはくるが、メインはそんな話ではなくて、仮想現実、
強化現実の話、UIの将来、監視社会の問題など、広く、そしてかなり深く、IT技術がもたらすであろう、私たちの生活の変化を予言している。
ゲームやコミック(士郎正宗の攻殻機動隊など)からの引用も多く、単なる学者さんのお話ではないところがいい。
特に気に入ったのは、
「好むと好まざるとにかかわらず、世界の仮想化は進み、人はコンピュータが作り出す情報の膜を通して世界と向き合うことになる。それは人の能力と可能性を拡大させもするが、現実に根ざした身体感覚や世界認識、自己統合感を不安定にさせるものでもあるあるだろう」(P.138)
というところ。これは正しい認識のような気がする。