ただし、この論が有効に機能するには条件が必要です。
まず、誰もが納得できる共通の評価基準を決めなければなりません。本書では、人の健康に対して「損失余命」を用いています。
次に、異なるリスク要因について、リスクの大きさの相対関係を崩さないように評価しなければなりません。
最後に、リスク算出の前提条件と算出過程を誰の目にも明らかにして、知見の集積に伴って修正できるようにしなければなりません。
日本は、悲惨な公害を経験し、企業や行政に対する不信感が根強くあります。
その結果、ある危険因子が顕在化すると皆がパニックに陥り、何が何でもゼロにしようとするため、前提も評価基準も対策も動揺します。
その結果、ある対策をとれば安く済み、別の因子に対処する余裕ができるのに、ゼロリスクを目指した高額な対策が続けられてきました。
そして、対策を行う側はパニックを恐れて情報を隠し、国民の側は情報が隠されるので余計パニックに陥るという悪循環が続いています。
最近は、行政が何か情報を公開しても、「肝心な情報は隠されている」などと言って国民の不安を煽る手口まで現れる始末です。
日本で本書の施策を実施するには、その意味で相当な困難を強いられるでしょう。
まずは、行政と企業の側が情報を公開することです。ただ垂れ流すのではなく、国民が自分で対策を考えられるよう、前提条件や評価基準も含めて示すべきでしょう。
その上で、国民も自分達に降りかかる危険因子を減らすために自ら考える責任を持ち、建設的に政策立案に参加することが求められます。
行政、企業、NGOを始め、環境問題に関わる多くの方に指針を示してくれる良書です。是非御一読を。