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ポストコロニアリズム (岩波新書)

価格: ¥840
カテゴリ: 新書
ブランド: 岩波書店
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:本橋哲也/著 出版社名:岩波書店 シリーズ名:岩波新書 新赤版 928 発行年月:2005年01月 関連キーワード:ポストコロニアリズム イワナミ シンシヨ シンアカバン 928 ぽすところにありずむ いわなみ しんしよ しんあかばん 928、 イワナミ シヨテン イワナミシヨテン 0365 いわなみ しよてん いわなみしよてん 0365、 イワナミ シヨテン イワナミシヨテン 0365 いわなみ しよてん いわなみしよてん 0365 植民地主義のすさまじい暴力にさらされてきた人々の視点から西欧近代の歴史をとらえかえし、現在に及ぶその影響について批判的に考察する思想、ポストコロニアリズム。ファノン、サイード、スピヴァクの議論を丹念に紹介しながら、“日本”という場で「植民地主義以後」の課題に向き合うことの意味を考える、最良の入門書。 第1章 一四九二年、コロニアルな夜明け第2章 「食人種」とは誰のことか-カニバリズムの
ポストコロニアル ★☆☆☆☆
 岩波新書のポストコロニアル本だが満足感はイマイチ。
 どうも「ナショナリズムの名著」に書かれたスピヴァグやバーバーに関する論考
 をただ引き伸ばしただけのような印象を受けた。
 ある程度ポストコロニアルに詳しい人は別にして一般にはおすすめできない。
 値段は安価なので手に取ってみるのはいいのかもしれないが。
下からの視点 ★★★★☆
本書の特徴的な点は、「下からのポストコロニアリズム」と著者自身が呼んでいるように、ポストコロニアリズムの思想家とその理論を紹介していくのではなく、現在に至るまで世界に存在する、なかなか可視化されることのない日常的光景を「モンタージュ」として次々と描き出していき、ポストコロニアリズムが何を問題としているかを紹介している点にある。

紹介されるエピソード等、とても衝撃的である。が、ある人々にとっては「日常」でしかないそれらの出来事にいちいち衝撃を感じてしまう(=つまり「新鮮味」を感じてしまう)ところにポストコロニアリズムにとっての最大の問題、グローバルなアパルトヘイトというべき問題があるのだろう。広く社会科学を専攻する者にとっても必要な視点である。自分がどんな立場から物を語っているか、自分の立ち位置や問題意識、主張を常に再検討させてくれる。

ただし、本書は、今まで可視化されてこなかったこういう問題がある、ということはよくわかるのだが、ポストコロニアリズムの入門書としては、やはり問題を発見するだけじゃなく、様々な論者がどう問題にアプローチしてきたかももっと盛り込んで欲しいところ。もちろん一冊の入門書で「上から」も「下から」もというわけにはいかないのは仕方がないのだが。サイードやスピヴァクといった思想家を取り上げている本橋哲也『ポストコロニアリズム』(岩波新書)とセットで読むといいのかもしれない。
これはポストコロニアリズムではない ★☆☆☆☆
この本の欠点は、「植民者」と「被植民者」の古典的二分法に強く執着しているところにある。この論法は、「アンチコロニアリズム」の思想であっても、ポストコロニアリズムの思想ではないと思う。ポストコロニアリズムは、植民者と被植民者の二分法にも批判の目を注いでいるはずである。他のレビューアーが指摘しているファノンの手放しの礼賛も、著者がいまだ「アンチコロニアル」な段階に留まっていて、ポストコロニアルまで至っていないことを示しているのではないか。

被植民者は逃れがたく植民者の文化に取り込まれ、単に植民者の支配を否定するだけで事が住むわけではない。植民者と被植民者との関係は複雑でかつファジーなものである。そこの問題に踏み込まず、単に植民地主義の「知的支配」だけを述べ立てていたのでは、ポストコロニアルな問題は解決しないだろう。
ポストコロニアル視点の限界 ★★★☆☆
ポストコロニアリズムは、植民地時代が終わった後も植民地主義がいまだ存続しているということを意味していると理解している。「ポスト」という言葉を使うとき(ポストモダン・ポスト冷戦)、単純な「〜以後」という訳し方では恐らく物足りない。ポストコロニアルについて語るならば、コロニアルな文脈に基づいて語らねばならない。その中で、コロニアルを焼き直そうとするものだろう。
他の人々のように、「ポストコロニアリズム」についての深い省察はやめておこう。私が本書から得たことは、何に対しても「批判的な目を持ち続けること」だ。メディアであるとか、本、教科書、そしてインターネットなど、様々な情報が飛び込んでくる昨今、自分がそういう情報をどのように咀嚼し、消化すべきなのかを教えてくれた気がする。
なので、あえて本書に批判的な目を向けてみるが、ファノンについての言及で納得できない部分が多々あった。というのも、著者はファノンの暴力を無条件で肯定しているように感じたからだ。西洋的なモノの見方に対する批判的言説を繰り返すことで、逆にその批判者たちは自分たちの主観に陥りやすい。独立を求める運動を批判するわけではないけれども、そこで行われている暴力に対する著者のスタンスに疑問を持った。
ここが、タイトルの通り、限界なのではないか。
入門書でありながら深い ★★★★★
「大航海時代」から現代まで少ないページで扱っているものの、ポスコロ入門書として非常によい出来である。
あの難解なスピヴァクが非常にわかりやすく噛み砕かれているのでスピヴァクをこれから読もうと思っている人にもおすすめできる。
著者が取り上げた3人のうちファノンはその功績のわりに知名度が低い。
だから「ファノンを何故出したのか?」という問いが出てくるだろう。
その理由の1つに彼が植民地主義の克服を模索する中で「支配される側」の意識に着目したことがある。
彼に関しては恐らく、国籍や民族的な理由で「私は誰か」と苦悩した人の方が重要性をより実感できるのではないか。

重要なことだと思うので他者の投稿したコメントにあえて言及すると
あとがきにかえてを書く際に著者は国民国家である以上不可避な問題、すなわち「国籍を持つことで本人の意思に関係なく差別者となる」問題を念頭においている。
国家や国民、民族は想像の共同体に過ぎないと何万回叫ぼうと、継続する植民地主義によって「国民(国籍保有者)」が現実に様々な利益を「国家」から得ていることは否定できない。
その既得権益を持つ「日本国民」や「日本人」が日本の「責任」をどう果たして行くべきか、という問題を射程に入れて著者は本書の中で「私たち」(国民として責任を持つ)という言葉を使っているのだ。
それは決して「日本のポストコロニアル的現状への認識の甘さ」ではないし、日本語のテクストを多種多様な人が読むことを根拠にして批判するのはあまりにも的外れと言える。