重要なことだと思うので他者の投稿したコメントにあえて言及すると
あとがきにかえてを書く際に著者は国民国家である以上不可避な問題、すなわち「国籍を持つことで本人の意思に関係なく差別者となる」問題を念頭においている。
国家や国民、民族は想像の共同体に過ぎないと何万回叫ぼうと、継続する植民地主義によって「国民(国籍保有者)」が現実に様々な利益を「国家」から得ていることは否定できない。
その既得権益を持つ「日本国民」や「日本人」が日本の「責任」をどう果たして行くべきか、という問題を射程に入れて著者は本書の中で「私たち」(国民として責任を持つ)という言葉を使っているのだ。
それは決して「日本のポストコロニアル的現状への認識の甘さ」ではないし、日本語のテクストを多種多様な人が読むことを根拠にして批判するのはあまりにも的外れと言える。