よくできた教科書
★★★★★
時代も地域もべらぼうに広い民族の興亡を手際よくまとめた好著。読者にクリアな展望を与えうる実力は一朝一夕では身につかないので、この著者、たいしたものだ。玉石混交の講談社選書からもときにこういう本が出るから、まんざら捨てたものではない。
長大な時間軸の中で固有名が錯綜するので、メモ風の図表や地図があるのは嬉しいが、地図がすべて見開きになっていて、肝心の部分がノドにかかり見づらいのはいただけない(もっとも、これは編集者の不手際)。教科書だからといって無味乾燥なわけではない。『コナン』の背景にキンメリア人の伝説があるだの、露鵬・白露山兄弟はオセット人の末裔だのといった愉快な薀蓄も傾けられていて飽きない。宮崎市定や井筒俊彦の所説に、臆することなくやんわりとダメ出しをする侠気も好ましい。
ペルシア語やソグド人の歴史的・文化的貢献とかイスラーム古典哲学の故地としてのソグディアナといった、実に重要なトピックに目配りが効いているのもすばらしい。さすがにナチスのアーリア至上主義には深入りしていないが、その欠はたとえば横山茂雄の『聖別された肉体』やらゴドウィンの北極神秘主義の本などで補えばよろしかろう。
どの版元も選書のラインナップには苦労しているようだが、せめて本書くらいの水準で揃えていくという気概を見せてほしいものである。
タイトルと帯が誤解を招きそう、しかし好著。
★★★★☆
ただ『アーリア人』とだけしたタイトルは刺激的。帯も「世界最大の「民族」二千年の壮大なドラマ」と、これだけみたら内容を誤解しそうな……。
さて。著者は同じ講談社選書メチエから『ゾロアスター教』を刊行している宗教学者で、本書はその専門とも関連が深く、アーリア人の中でももっともユーラシア大陸に拡散したイラン系・アーリア人の歴史と文化、宗教を概観しています。ちなみに「二千年」とは紀元前9世紀から〜11世紀まで、乃ち古代オリエント以降イスラム世界のテュルク化以前までの間。その範囲は、東は中国で活躍したソグド人、ホータンのサカ人(尉遅氏)西はもちろんペルシア人、北はスキタイ南はインド・パルティア人まで。諸民族の興亡をそれぞれの地域ごとにまとめて著述し、各地域・諸民族の文化・宗教を比較考察(拝火儀礼、ゾロアスター教が各時代、地域でどう変容していたかという記述は非常に興味深い)しています。また、補足としてインド・アーリア人やアーリア人と近縁のヨーロッパ諸語族にも言及しています。
参考文献表と索引もしっかりしており、西アジア史・中央アジア史、宗教学(ゾロアスター教、マニ教等々)の概説書、参考資料としてぜひ手元に置いておきたい一冊です。
ところで、イラン系アーリア人の諸民族はまったくバラバラの文字を採用しているそうで、その結果「例えるなら古代日本研究にあたって、ギリシア語表記文字の『古事記』、ラテン文字表記の関西弁で書かれた『日本書紀』、キリル文字表記の関東弁で書かれた『万葉集』」という資料の状況を呈しているとのことで、その研究の困難さは察するに余りあります。
どことなく、本書の記述がブラックなユーモアをたたえているのは、こんな「ひねくれた学問」に著者がとり組んでいるからかもしれないですね。