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海に住む少女 (光文社古典新訳文庫)

価格: ¥500
カテゴリ: 文庫
ブランド: 光文社
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:シュペルヴィエル/著 永田千奈/訳 出版社名:光文社 シリーズ名:光文社古典新訳文庫 KAシ2-1 発行年月:2006年10月 関連キーワード:ウミ ニ スム シヨウジヨ コウブンシヤ コテン シンヤク ブンコ KA-シ-2-1 うみ に すむ しようじよ こうぶんしや こてん しんやく ぶんこ KA-し-2-1、 コウブンシヤ コウブンシヤ 2271 こうぶんしや こうぶんしや 2271、 コウブンシヤ コウブンシヤ 2271 こうぶんしや こうぶんしや 2271 「海に住む少女」の大海原に浮かんでは消える町。「飼葉桶を囲む牛とロバ」では、イエス誕生に立ち合った牛の、美しい自己犠牲が語られる。不条理な世界のなかで必死に生きるものたちが生み出した、ユニークな短編の数々。時代が変わり、国が違っても、ひとの寂しさは変わらない。
昔の訳で読みたい作品 ★★★☆☆
いや、何ともたわいなく美しい物語の数々であった。
もっと若いころに読んでおけばよかったと思う1冊だ。ひねてしまってから読むと少々物足りない。
その原因として考えられるのが、表紙に惹かれて最新の訳で読んだことがあると思う。
ある程度の年齢を超えた方、あるいは読書量が膨大で文章にこだわられる方は、
堀口大學訳など昔のものを探したほうがいいかも。
訳者あとがきに堀口訳のものが少し引用してあって、なかなかよさそうだ。
私は好きです ★★★☆☆
表題作「海に住む少女」、ファンタジーかとおもいきや切ない結末。
セーヌ河の名なし娘 、空のふたり 不思議な作品であり、落ちは良く分からないが雰囲気は好きだ。
ただし「海に〜」が一番強烈
レヴューと言うより、雑感です ★★★★★
(前略)仮説はどれも信じがたいものばかりで、サハラの空にエーテルが蒸発するかのように消えてゆきました。(「空のふたり」より)

 この文庫に収められた作品たちは、たとえるなら、サハラ砂漠に、エーテルで描かれた地上絵、ではないだろうか。あるいは、撥水加工が施されたキャンバスに、水で描かれた絵画、ではないだろうか。
 へたなたとえをしたが、要するに作品たちから受けた印象は、はかなく、あわいものだった。

 訳者永田千奈氏は、解説の箇所で、シュペルヴィエル作品にたびたび登場する<キーワード>を挙げながら、作品案内を試みている。氏が挙げている<キーワード>は、本書を手にとって確認いただくとして、私は、そのほかに<キーワード>を挙げ、作品案内の一助としたい。
 「空のふたり」と、「足跡と沼」。両作品に共通して登場するのが、<箱>と<びっこ>という<キーワード>だ(ちなみに「ノアの箱舟」には、<箱>が登場している)。
 前者では主人公とヒロインとはいずれも<びっこ>で、ふたりを別の世界へといざなうツールとして、<箱>が登場している。
 後者では、行商人の携えていた荷物の一部として<箱>が登場し、彼が訪れた家の長男が<ひどく足をひきずって歩いていました>と言う形で<びっこ>は登場している。

(前略)男も女も子供たちも、全世界共通で、箱が好きなのです。地球が箱を求めているのです。運命が生まれ、身を潜め、策を弄する場所のひとつが、箱なのですから。(「足跡と沼」より)

 最後に、私が気にいった箇所を紹介して、このレヴューを閉じたい(他にも数箇所あるんですが)

ベツレヘムへの途上、ヨセフの引くロバの背には、マリアが乗っていました。マリアは重くありませんでした。未来のほかに、何も持っていないからです。(「飼葉桶を囲む牛とロバ」)
「フランス版宮沢賢治」の宣伝文句に衝動買いしたら… ★★☆☆☆
この思わせぶりな作品はなんだろう。
生ぬるい駄作と崇高な賢治を一緒にしないでほしい。
「飼葉桶を囲む牛とロバ」の辟易する安っぽさ。
これが自己犠牲かと甘ったるさに鼻白む。

後半、川で溺死する女の話あたりから、
ようやく読むに堪えうる作品になるが、
これを名作とうたう出版社の
良識を疑いたくなった。
意味を考えるより雰囲気を味わう。 ★★★☆☆
 大海に浮かんでは消える町に住む年をとらない少女を描く表題作「海に住む少女」。キリストが誕生したとき傍にいた動物の心を書いた「飼葉桶を囲む牛とろば」。ちょっと目線を変えた、不思議な世界の短編集である。
 多分好き嫌いがはっきりする作品だろう。何かをはっきり主張するような話は少ない。読んだ後は悲しさやせつなさ、かすかな滑稽さなどのような情感が心にのこるだけ。ある場面を切り取った画のようでもあるが、画とすれば柔らかい色調の抽象画であろうか。情景から色だけ、あるいは香りだけが広がり、読んだ後も余韻としていつまでも漂っている感じである。その余韻がかなり長く残る、というのもあまり感じたことのない不思議な読後感であった。
 何をいいたいのか、もどかしいような、結末もはっきりしないような作品もある。意味を考えるより、このような雰囲気を味わうことを楽しめばよい作品だと思う。

 作者は1884年生まれのウルグアイ出身の作家。堀口大學など、多数の人が訳しているそうであるが、現代ではあまり知られていない。訳者は作者を「フランス版宮沢賢治」と表現している。こんな古典もあった、と知らされた。