西部劇俳優としての自戒
★★★★★
近年のイーストウッドの映画は素晴らしい。
それは周知の事実となったが
それは一本一本の映画の価値以上に
イーストウッド自身の演じた自分に辻褄を合わそうとしているところにあると思う。
そして今日見直したこの映画あたりからそれははじまっていたのだと確信した。
西部劇から名を挙げたイーストウッドは撃つ事で人が死ぬ重みを描かずにはおれなかったのであろう。
これこそ作家というものであろう。
エンターテイメントも失わずに自戒も描いたいい映画です。
イーストウッドが渋い
★★★★★
イーストウッドに年齢なんて関係ない。
そう感じさせるほどに、この作品でもその存在感に圧倒された。
アウトロー達による善悪を超えた己の生き方を賭けた熱い闘いに時間を忘れて見入ってしまった。
西部劇の最終傑作か
★★★★★
老いてなお盛んの感のあるイーストウッドだが、ダーティ・ハリー前後のイメージを大きく覆す作品。もともと西部劇は、日本の時代劇な位置だろう。そのため、哲学的な要素を含めば、あまりおもしろくなくなるのだが、骨太の西部劇でありながら、単純な娯楽作品でもない。重いトーンは、ミリオンダラーベイビーに繋がっていく。
誰のために闘うのか?
★★★★★
11年前、妻に出会うまで冷酷な強盗、人殺しを行っていた悪名高きマーニー(イーストウッド)。彼は、愛する妻と二人の子供を得て、殺人はおろか酒も飲まず、3年前に妻を失ってからは女も抱かず、幼い二人の子供を男手ひとつで育ててきた。
そんなマーニーの所に、若きキッドが賞金1000ドルがかかった、女に酷い仕打ちをしたカウボーイ二人を殺す話をもちかける。
正当に殺す理由があると思い、生活のために賞金に目をくらんだマーニーは、かつての仕事仲間のネッド(M・フリーマン)を誘う。
ここまでが映画の導入部だが、娼婦だから何をされてもいいという差別意識をもった、保安官のダベット役のG・ハックマンの演技は壮絶なまでに凄い。R・ハリス演じる賞金あらしのイングリッシュ・ボブに対しての暴力。この部分は保安官という権力をかざした、元ならず者のダベットのはけ口であり、国家権力、戦争という偽名や美名のもとに殺人や暴力を正当化する意味合いにも思えた。保安官の暴力が与える恐怖感によって、支配統治される町や住民たち。
ダベットにとらえられ、暴力を受けるマーニーは抵抗しない。その彼が3日間寝たきりの間に見る夢に、初めて西部劇で倫理的、宗教的なリアルな「苦悩」を表現した。闘うことの意義を問う大事なシークエンス。
傷を負わされた娼婦に看護されるマーニー。娼婦達と心を通わせていく。噂に聞いた娼婦は話ほどにはひどい仕打ちを受けていなかった。その事実を知っても、カウボーイを殺す意味はあるのか?
M。フリーマン演じるネッドは、「もう自分には人を撃てない」と去るが、悲劇が彼を待ち受ける。ここにも、人種差別的な象徴が表れていて問題を提起している。
黒人であるネッドの妻はネイティヴ・アメリカンであり、導入部にマーニーを見つめる憎しみの表情のシーンがある。かつて西部劇でさんざん酷い目にあい、悪く描かれてきたネイティヴ・アメリカン達への謝罪の部分ではないかと思った。
この映画に出てくる、苦しめられた人間達は、保安官ダベットにとって差別的意識をもった対象である。かつてアメリカが植民地時代がありその名残をいつも吹聴していたイギリス人のボブ、娼婦、黒人と・・。
復讐のための殺人ではなく、「守るべきもの」を守るための殺人は正当なのか?
ラストはそんな問いかけをされたような気がした。
かつてチャップリンの「殺人狂時代」で「一人を殺せば殺人犯だが、戦争で大勢を殺せば英雄になる」という言葉に感動したが、この映画ではまた違った疑問を投げかけられた。
いい作品です。
★★★★★
グラントリノを観て、友人の勧めでこの作品を観ました。
イーストウッドの生き様に浸れます。
男の不器用さ、その生き方の共感。
よく出来た映画という領域を超えて、
「男ならこう生きたい」というメッセージに共感して、
最近、疲れた日常の生活を忘れて心の潤いを強く感じました。
世の中の40代、50代のお父さんに観て欲しい作品です。
クオリティが高い作品なので、損はしないと思います。