クーデタが実質的な政権交代であった「タイ式」民主主義の機能不全と今後の行方
★★★★☆
ほとんど内戦状態に陥ったといってもよい、2010年4月の「バンコク騒乱」。バンコク市内中心部に籠城する赤服組と治安部隊との激しい銃撃戦、放火されて焼け落ちた中心街の百貨店は、新聞情報やインターネット情報、YouTube映像で見る限り、きわめて激しいものであった。
本書は、この「バンコク騒乱」に至るまでの、ここ数年のタイ王国の政治状況を、アジア総局長として2005年9月から2009年8月までバンコクに駐在していた朝日新聞記者がまとめたものである。
タイトルは 『バンコ燃ゆ』 となっているが、2010年4月の「バンコク騒乱」そのものの記述は、全16章のうちたった1章をあてているに過ぎない。著者自身が帰国後に起こった事件ということもあろうか、新聞記者としては現場にいなかったということは致命的なことなのかもしれない。
むしろ、副題の「タックシンと「タイ式」民主主義」が、本書の主要テーマであるといえる。ここ数年間のタイ政治は、タックシンという、いい意味でも悪い意味でも、タイの政治史上でもまれに見る個性的で強力な指導者をめぐって展開してきた。
2006年9月のタックシン首相(当時)のクーデタによる追放と、その後の不安定な政治状況について扱った本書は、「バンコク騒乱」に至るまでの政治状況を時系列で淡々と整理しながら、ときおり著者自身のコメントを交えながら記述しており、タイの国内政治の背景を知るためには不可欠の情報になっている。ただし、少し細かすぎるのではないかという感想もあるかもしれない。
本書の特色は、なんといっても、海外追放中のタックシンとの単独インタビューを逃亡先のドバイのホテルで行ったことだ。タックシン自らの見解が正しいかどうかはさておき、肉声を直接確かめて随所に引用していることは、本書の内容に厚みを増している。著者はこのために、タイではタックシン寄りと誤解されて苦労したと本書のなかで漏らしている。
「タイ式」民主主義とは、西欧や日本の民主主義とはやや異なる、タイならではの政治的安定装置のことを意味する表現であるが、その「タイ式」民主主義はいまや機能不全状態にあるというのが、本書の結論といってよい。1992年以来、もはやあるまいと思われていた15年ぶりのクーデタによって、アジアの「民主主義」優等生としてのタイのイメージは完全に崩れ去った。と同時に、クーデタが実質的な政権交代であった「タイ式」民主主義が、もはや機能不全状態にあることも明らかになったのである。
おそらく著者はこの本を執筆するにあたって、相当量の情報を捨てたものと推察されるが、それでも、タイの政治を扱った本なかでは例外的に、かなりきわどい側面にまで踏み込んで記述している。
このため、著者の個人的見解にすべて賛成する必要はないが、事実関係と著者の解釈を区分して読むことさえできれば、タイ王国の今後を考えるうで、読む価値のある一冊になっているといってよいだろう。