仏教の「信」を正しく理解する
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本書の副題が示す「地蔵菩薩本願経」は、お釈迦様が「とう利天」におられる母親に向かってお話しになったものです。そして、著者の太田久紀氏もまた、亡き母の供養としてこの経に取り組んだとあります。
この経は、お地蔵さんが前生に一人の娘として生まれた時、仏法僧の三宝を信じることの少ない母にお釈迦様の教えを説くところから始まります。
そして、“「信」というのは「心を澄浄ならしむる」はたらきと言い、「不信」は「心を穢す」はたらきと言われている(云々)”で始まる著者の解説により、読み流してしまいがちな、お経の「信」という大切な言葉が深い印象となって心に残ります。
お釈迦様が凡夫の我々に残された『四沙門果の修行』の「最初の聖者(シュダオン)」になるために努力すべき「三結の断(i.e. 身見(有の見解と我執)+疑惑(仏陀の教法への不信)+戒取(仏陀の教法以外の信)」には、本書で説かれる「信」の確立が不可欠であることを無理なく理解できます。