一人の人間から歴史を再考察した一冊
★★★★★
日系三世である筆者が、アメリカが原爆を使用した背景について、特に当時の大統領だったトルーマンの価値観を中心として考察を進めた一冊。
日本の降伏は時間の問題、原爆を使用する必要はなかったという意見がアメリカ軍部の中にも存在する中、あえてその使用に踏み切った大統領の思惑は、よく言われるように、ソ連への牽制だけであったのか。筆者はそういった政治的背景だけではなく、トルーマン自身が常に抱いていた「強いアメリカ人、強い男」の価値観を貫き通した結果でもあったと述べる。もちろん、トルーマンの価値観を強引に推し進めた結果だけがこれほどの悲劇を生んだわけではないだろうが、原爆投下後のアメリカ国民の抱いた一種の動揺と、トルーマンの確固とした「投下は正しい判断だった」とするスタンスの対比が本書の中で浮き彫りにされると、考えさせられるものがある。一人の人間に重大な責任が与えられ、そしてどう動いたのか。人間から歴史を考察した興味深い一冊。
本当に原爆は必要だったのでしょうか。
★★★★★
本当に原爆は必要だったのでしょうか。
原爆投下以前にすでに負けていた戦争であるのは民間人からも明らかだったそうです。(私の母のみた本土の空爆の目撃証言によると。)
原爆などという暴挙に出なくても日本が降伏するのは眼に見えていたはずです。
本書によれば、原爆投下の背後にある事情はとてもばかばかしいものだったようです。
不必要だった原爆を投下した事実は風化させてはならないと思います。
米国による原爆投下を軍事面とトルーマン大統領の心理面で分析
★★★★☆
本書は、米国の広島・長崎への原爆投下は軍事的にはその必要がなかったこ
とが今や通説になっていることを説明するとともに、トルーマン大統領が原爆の
投下を命じたのは、自らの男らしさを顕示するためであったという驚愕の説を示
します。いずれにせよ非戦闘員である民間人30万人を殺戮した原爆投下は国
際法に違反することが理解できます。何処の防衛相の「原爆投下はしょうがな
い」発言と同じく刷り込まれた、原爆は対日戦を早期に終わらせ、上陸作戦によ
る犠牲を避けたとするGHQ史観の裏側にある真実を見極めてほしいです。
大統領の男らしさで原爆投下
★★★★★
原爆投下の決定が下された背景には、複雑な要因がある。
(1)戦争を早く終わらせる(日本本土戦になると米兵死者50万人が予想される)
(2)ソ連との政治的対立(軍事抑止力)
(3)文化的な怒りの感情(人種差別)等がからみあっていた。
それに対して、本書はトルーマンが決定した政治的、軍事的状況を説明し、それに対処した彼の性格に焦点を当てている。彼は突然、大統領になった。人類に初めての原爆投下を前に、怖ろしいまでの責任を感じ、涙を流したという。しかし、彼は男らしく、その発動命令をすることになる。
もともと原爆は、ナチスドイツが標的であったのだが、降伏して必要がなくなり、日本に向けられることになる。
「民間人を標的にすべきではない」という道義的な見方も薄れ、無差別爆撃・空襲の行き着くところが、核兵器による大量殺戮になったのである。
トルーマンは「ピアノを弾くようなのは男のすることではない。いくじなしのすることだ」大統領になってからは男らしい外交、強い指導者としてふるまうようになった。原爆のすばらしいニュースに勇気づけられ、ソ連に対しても上手に出られるようになったことを喜んだのである。
これまでトルーマンの性格に関連させて述べる書はなかっただけに、一つの説として複眼的思考には参考になるはずである。最高責任者の性格・人格が世界の命運を左右するかもしれないので(雅)
原爆投下の真相
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従来、アメリカが国際法上非難を巻き起こす可能性のある原爆の投下に踏み切った可能性についてはいろいろ論議されてきた。日系三世である著者は、戦争早期終結のため、対ソ牽制のため、莫大な開発費を投じたことへの理由付けのため、といった従来の見方に加えて、ルーズベルトの死去に伴い、思い掛けなく大統領に就任してしまったトルーマンが、周囲の冷たい目を跳ね返し、自らのリーダーシップを見せつけるために「男らしさ」を演ずる必要があったのも一因だ、という新たな見方を提出している。このように原爆投下を単一の原因に帰すことをせず、多角的に捉える見方は歴史認識としては正しいものだろう。唯一の被爆経験国の国民として、そして核廃絶への第一歩を考える上で、原爆投下の理由を正しく知ることは大変大切なことだと思われる。