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私とは何か さて死んだのは誰なのか

価格: ¥1,575
カテゴリ: 単行本
ブランド: 講談社
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てるてる坊主のたわごと ★★★★★
 ―池田晶子の「私とは何か」について―
 これぞ本物の「哲学の書」である。
 多くの哲学書は、歴史に名だたる哲学者による過去からの思想が受け継がれながら現在に至っていて、その思想の筋道によらなければあたかも哲学ではないかのような印象である。何人もの学者たちがこねくり回した思索を知識として知って何になる。他人の思索の続きを考えようとするから難しくなる。
「哲学とは考えることである」として、さらに池田は「考えるとは?」を教えている。哲学の題材は自分の中にある。哲学とは、己が己を見つめ、まことの己、すなわち真我を見出すことではないか。その真我こそ永遠の己、池田の言う「普遍に至る私」であろう。
 わたしは真の哲学の書を得た。そしてわたしの考えは本書によって肯定された。
池田晶子さんの13歳に触れる ★★★★☆
私とは何か 池田晶子 講談社 2009

死とは何か、魂とは何かと同時期に発売された、池田さん死後に池田の夫らが設立したNPO法人わたくし、つまりNobodyが編集したもの。
池田晶子(1960−2007)の文章のうち雑誌、新聞等に掲載されたもの、未発表原稿は13歳の時の文章と他一編のみ。
池田さんの著作に触れている人には物足りないというか纏まりがないと感じるのではないだろうか。少なくとも自分はそのように感じた。しかし買ってしまいます。
備忘録として
世論の心理というのも、仔細に観察してみると面白い。軽薄な尊大さの裏側には、小心な自己肯定が透けて見えないか。P65
人が老いに抵抗を覚える理由のもうひとつ、周囲の老人の姿をみるからもあるだろう。快楽を人生の価値と思い為し、ただ年をとっただけの無内容な人、そういう人ばかり見るからである。しかし、かっては、老いるということと、賢くなるということは、同義のことであったはずだ。人生の価値は、賢く生き、より賢い人間になることにあると、昔の人々は知っていたのである。P101


誰でもない私 ★★★★★
池田晶子さんの著書はどこから読んでも、私自身と同化し、ついに誰でもない私にたどり着きます。全ての著書を所蔵しますが、池田氏の貫いた考え生き方が自分と重なり他では得られない爽快感があります。
池田晶子クロニクル。 ★★★★★
本書で購入前から気になっていたのは、池田さんが小学校6年の時の創作童話のこと。
購入、一読後、その完成度の高さに驚いた。

”私は非常に作文が好きだった。しかも、うまかった。自分で言うのもなんですが”(本書P.113)。

ケレン味無く言い切っているように見えて仄かに感じる一抹の含羞。池田さんの文章を読むときの醍醐味である。そして、その文才を通じての中学時の恩師との心の交流。

”本を読んでは、そこに書かれている「意味」のみ抽出し、それをもって、自己の「考え」のほうへより考えを凝らす。”

自ら自然と実践したそうした読書法を示しつつ、自らの著書もそのように読んでもらえたら、と池田さんは語る。裏を返せば自らが普遍の真実を語っているという自負、というよりは、端的な”事実”。私とは何か、という問いへの、ひとつの回答、ということであろうか。

小学校からの池田晶子の魂の流れを俯瞰できる、”池田晶子クロニクル”。
小学校の長編作文付きの、未発表、未収録のエッセイ集 ★★★★☆
これは、類似の書と比べると、本の紹介の通りの「未発表、本未収録のエッセイ集」である。
「私」については、仮に「私」が解ったとすると、解った「私」と、解られた「私」がいることになる。作者はそれを「これ」と「コイツ」と呼んで、間に「魂」を入れるとしっくり収まるなんていっている。が、エッセイなので、それ以上「私」について、論を展開していない。
しかし、「哲学というと、難しい学問みたいですから。自分とは誰かとか、生きて死ぬとはどういうことかとか。それだけなんです。」と書いていることから、ここに集められたエッセイも「私とは何かということを考えたもの」ということにはなる。
それよりも、同時出版の「死とは何か」で、最後の講演原稿を収録した対比で、ここには最初というべき初期の作品というか、卒業文集に収められた6年2組池田晶子のかなり長い作文が収められていて、それが、登場するのが鳥たちの童話風作文なので、ファンには大変貴重な本ではある。
彼女のエッセイがお好きな方は、こちらのほうがお勧めです。