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死とは何か さて死んだのは誰なのか

価格: ¥1,575
カテゴリ: 単行本
ブランド: 毎日新聞社
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てるてる坊主のたわごと ★★★★★
 池田晶子の「死とは何か」について
 本書にヒントを得て、わたしの生死観がつぎのようにまとまった。
 ひとは、自分が生まれた時の記憶をもたない。死ぬ時にも自分が死んでゆく事態も苦しみさえも意識することはないようである。他人の死は確認できても自分の死は確かめようがない。だからひとは、知らないうちに生まれていて、生きてきたことも意識せずに死ぬということか。結局のところ生も死も観念であって実在はしないということなのか。この現実も、ホントは夢幻なのか?
「死にぐるしみ」を味わいながら、死に往く我が身を確かめながらの臨終を望んでいたが、残念ながらムリなようである。
池田晶子への入門書かな ★★★★☆
死とは何か 池田晶子 毎日新聞社 2009

同時期に、魂とは何か(トランスビュー)、私とは何か(講談社)が出版されている。
池田晶子(1960−2007)の死後に、池田の夫らが設立したNPO法人わたくし、つまりNobodyが編集したもの。
未発表の1編(死期の迫った2007年1月の語り下ろし「死とは何か」−現象と論理のはざまで−医師を対象とした講演会で病状悪化のため演壇にたてなかったために書いた)以外は新聞や雑誌等に掲載されたものをまとめている。
1.精神を捉えてやまない謎
2.ひとりだけで考える
3.役に立たないからこそ
4.人生は言葉とともに
5.存在の謎は、果てしなく
付録 自筆原稿「いいわけ」
すでに池田さんの本を読まれている人にとっては、どうなんでしょう?あまり纏まりがないという印象ではないでしゅうか。少なくとも自分はそう思う。でも買ってしまうのだな。
備忘録として
人間を動かすのはあくまでも思想と言葉です。科学技術、それ自体で動くわけじゃなくて、動かしているのは人間の正しい、あるいは間違った思想です。同じ科学技術でも、もっと正しいく使いなさいという思想が人の心にうまく入れば、正しい文明が作られるはずです。その意味では、「科学技術」を変えられるのは「言葉」だけです。P164
「書く」ということは、この指で、この力で、一字一字を書くことだ。まえた考えを言葉に封じ込め、この世の地面に刻み込むことだ。私にはどうしてもそうとしか思えない。言葉を所有するゆえに人間は人間なのだから、その言葉の仕事を機械に任せてしまうと、人間がユルくなるというか安くなるというか、強くいえば、決定的な変質が起こるはずと、私は予想しています。P205(ワープロを使わない池田さんである)
我々の生死は、じつは、言葉においてのみである。言葉以前に生死はなく、言葉以後に私はない。言葉と存在とのこの悩ましい共犯関係は、ぎゃくに、我々を、生死の呪縛から解き放つ。P218

池田さん自筆の原稿を見て、ふと微笑を洩らした方も多いのでしょうね。
池田晶子の 真・善・美。 ★★★★★
今回刊行された3点の”最後の新刊”。
魂、私、死。言うまでもなく池田さんがその著作の中で”バッハの或るパッセージの様”(BY小林秀雄)に、主題として常に追い求めて来たテーマである。

発語”いったいこれは何であるか?”
→”池田晶子の真・善・美である”。

不意にそんなことばが閃いた。真とは"死”。善とは”魂”。美とは"私”。無理矢理に自分なりに当て嵌めるとそんなところか。

出色は、付録。池田さんの手書き原稿が読めるのだが、かつて陸田真志氏が往復書簡の途中、ポロリと"読めないところがある”と思わず書いてしまっていたが、”思考に手が追いつかない、本人でさえ判読不可である”という文章を手書きで読みつつ、ところどころ実際に読めない、この重層的なおかしさ!

”魂のバトン”たるサイン会を輸血で乗り切り、最後の覚悟でセットされたであろうそれも医師への講演会、無念の直前キャンセルにそれでも語り下ろしたメッセージ。
文字通り今しばしこの世に残る我々へ、考えるよすがとしての宣託と言えるであろう。

・・・そう思うと、池田さんの深い思いに呆然とする。”死んでいるように生きていた”池田さんであるが、今はそう、”生きているように死んでいる”のかもしれない。そして我々はこうした書物を通じ、彼女の考えにいつでも接しうるのである。
どう生きるべきかがたくさん書いてあるけど、彼女が最期に言いたかった事は? ★★★★★
「死」は明瞭です。
「魂」を語った作者はその中で、「神」などは、「魂」と比べれば、はるかに理解しやすいものであるといっていますが、「死」は「神」よりもさらに明瞭です。
彼女のファンであれば、死は自身の死と、他人の死と分けるべきものであって、他人の死は認識できるが、自身の死は決して認識できず、従って自身の死はないと断言していいものであることは知っているでしょう。
だから、本書はそんな、無い物について語るのではなく、存在するほうの「生」について語られています。どう生きるべきかなんて、たくさん書いてあります。とても参考になります。
なにもやる気が起きないっていう自分を肯定して、覚悟さえあればなんとかなるって、怠け者が泣いて喜ぶような文章までもあります。
また、彼女が「彼」と呼ぶのは、彼女の死後せっせと彼女の著作を再構成し、遺作を生き生きとした形で蘇らすお仕事をしている夫ではないことも判ります。

が、最後に、唐突に「言葉」についての章が出てきて、難解になってしまいます。
何故かというと、これは彼女の最期の入院のためにキャンセルを余儀なくされた、幻の講演の語り下ろし原稿が、メインに据えられているからです。それまでの章は、この最後の講演原稿をより深く理解するために存在している事が最後にわかります。
彼女もコレが最後の仕事って、判っていたでしょうから、生と死っていう簡単な事以外に「でも、生も死も言葉なんです」って難しいことを付け加えざるを得なかったんでしょう。講演原稿の最後は「ちょっと難しかったかもしれませんが、以上です。」で終わっています。