一人の著者が書く重要性
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各国、各年代の吹奏楽の楽器や、吹奏楽の古典レパートリーの編成を画像で見ることが出来る。いわゆるウィンドバンドだけではなく、ブリティッシュスタイルのブラスバンドやマーチングバンドの楽器についての項もある。中でも、画期的なのは、「吹奏楽の歴史」の章で、トルコのメフテルから、モーツァルト・メンデルスゾーン時代のハルモニームジークにまでさかのぼり、これまでバラバラに説明されることの多かった「楽曲」と「楽器」の両面から取り上げられている。ベルリオーズ、シュミット、ホルストの編成が、視覚的に迫ってくるのは、非常に興味深い。
現在、吹奏楽本や楽器の図鑑が次々と出ていて、制作者も色々面白おかしく工夫をしているのだが、どうも「正確さ」に欠けていることが気になる。その原因一つが、各楽器に実質上の著者(アドヴァイザー)がいて、見解がバラバラになっている、ということがあるのではないかと思う。あるページでは「これは○○が発明」とあるのに、別のページでは「××が発明」などと、臆面もなく書いてあったりする。これでは、何が正しいのか、読んでいる方はわからない。色々な見解があることを否定はしないが、一つの書物で見解がバラバラで、しかもそのことに著者が全く触れないのは、著者としての責任を放棄している(又は、そこに気がつかない程度の知能の持ち主が記している)、と思わざるを得なくなる。
佐伯氏のこの書の場合、確かに各楽器の奏者や研究者の意見を仰いだ部分もあるだろうが、それらを鵜呑みにして掲載するのではなく、それらを自身で噛み砕き、自身の研究に折り込み、そこから導き出された見解を、自分の言葉(考え)で記しているように思う。従って、書物(研究)として、その主張は首尾一貫しているように読めるのだ。そのような意味で、一人の著者が全ての吹奏楽器について記す研究書というのは、我が国では殆ど例がなく、大変貴重であると思う。
今後、ここに掲載されていない国の吹奏楽器(現在も普通に使われているもの全て)について、より詳しく調べられる書を出されることを、氏に期待したい。