読み心地がとても良い文章。
★★★★☆
読み始める前は「新興宗教テーマ?暗くて辛い内容では?」と思った。
「新興宗教」をメスを入れた問題作!!っといった謳い文句であったが、
堅苦しい内容ではなく、どちらかというと救いを求める個々人の物語。
純粋な心の少女が救世主的に祭り上げられていく様はジャンヌダルクっぽくもあるが、
昨今ありがちな「新興宗教」ではこのようなあり方はなく、カリスマ的独善的な指導者によって信者が牽引されていくのが普通なので、「新興宗教」をテーマにしているとも思えない。
本書で一番に気に入っているのは「読み心地の良さ」。
一人の少女に救いを求めて集まってくる人々が、次第に組織化されていく様が非常にスムーズで、
その流れに無理がなく気持ちよい。
貫井氏の作品は映画でいうなら「サイコ」や「シックスセンス」のように「ラストでびっくり」的な展開が多いが、
本作にもそのようなくだりがある。
ある意味、現実にはありえない展開であるが、途中から何となく想像がつく展開なので驚き度は少ない。
あり得ないが…ファンタジーと思えば許せる範囲。
現実的(リアル)なストーリーを好む人は首を傾げてしまうだろうが、ハリウッド映画的な娯楽展開を好む人は楽しめるだろう。
読み方、気を付けて!
★★★★☆
読み方、失敗した。
帯の解説をへんに解釈して、「慟哭」の逆バージョン?
普通の人たちが一歩誤って、正しいと信じて間違って、
いびつな新興宗教を形成してゆく物語?
と、あまりに思い込んで読んだがために、
まっすぐに世界に入れなかったのが残念。
ざわざわと、心が揺らぐようなちらつき。
健気すぎる主人公が追い詰められる不安と一途過ぎる思い、亡き妻との会話。
サイドで語られる中年女性の、娘への偏愛と妄執のような束縛。
作者がそこここにちりばめる揺らぎに途中、何度も胸が苦しくなった。
遥が襲われ失踪したとき、遥を連れ帰った雪藤のくだりではもう、叫びそうになった。
このまま終わっていたらもう、これはサイコ以来のサイコ小説として、
私のトラウマ小説になっていたに違いない。
小説としてはその方がもしかしたらGは上だっただろうけど、
このエンディングでよかったと思う。
小説でGもいいけど、救われていい夢を見るのも、とてもいいもの。
波乱万丈
★★★★☆
徳井作品の「慟哭」も以前に読んだことがある。
本当に徳井という作家の作品は、読み進めるうちに「え?」と思うことが多い。
次が読めない、予想外な展開、だけど、前のページを思い出すとその予兆はあったなぁと。
力のある作家さんなんだと思う。
“救い”を求める人、“救う”人、主人公雪藤が結末に見たものは
★★★☆☆
初出が『別冊文藝春秋』第261号から第269号の連載小説だった本書は、貫井徳郎が衝撃のデビュー作『慟哭』のテーマ<新興宗教>に再び挑んだ作品。
32才の雪藤(ゆきとう)は、交通事故で愛する妻と幼い娘を失い、絶望の中にいた。ある日、他人の持ち物からその人の「過去」や「思い」が“見えて”しまうという特殊な能力を持った女子大生、遥(はるか)と出会い、彼女が雪藤の落し物から彼の「哀しみ」にシンクロして涙を流してくれたことにいたく感激する。やがて彼女から“救われた”と信じる雪藤は遥の能力をもっと多くの人に役立てたいという力に巻き込まれてゆく。
有名になった遥は、次第に組織化され、遂に≪コフリット≫という会員制の団体の代表にならざるを得なくなり、会社を辞めた雪藤は、世間から見れば新興宗教の教祖としかうつらない彼女を助けて奔走する。貫井徳郎の筆は、あくまで状況を粛々と描いているが、肥大化する遥をとりまく環境に突き進んでゆくその姿は、ある意味狂気を宿したかようでもある。
ストーリーは、≪コフリット≫がふたりの手の届かない部分で次第次第に大きくなってゆき、組織作りの経験者を名乗るいまひとつ心を許せない男の登場、若いスタッフたちとの軋轢などがあって、クライマックスの遥の講演会へと進んでゆく。そこで起こる事件が転機となり、結末に至るのだが、“救われた”と思っていた雪藤は、はじめて自らの立ち位置を自覚するのである。
本書は、特殊能力を題目にしたエスパー小説でもなければ、<新興宗教>を主眼に置いた社会派小説でもない。あえて言えば“救われる”とはどういうことなのかを世に問うた、貫井徳郎が抑えた筆致で切々と綴る人間ドラマの秀作である。
“救い”を求める人、“救う”人、主人公雪藤が結末に見たものは
★★★☆☆
初出が『別冊文藝春秋』第261号から第269号の連載小説だった本書は、貫井徳郎が衝撃のデビュー作『慟哭』のテーマ<新興宗教>に再び挑んだ作品。
32才の雪藤(ゆきとう)は、交通事故で愛する妻と幼い娘を失い、絶望の中にいた。ある日、他人の持ち物からその人の「過去」や「思い」が“見えて”しまうという特殊な能力を持った女子大生、遥(はるか)と出会い、彼女が雪藤の落し物から彼の「哀しみ」にシンクロして涙を流してくれたことにいたく感激する。やがて彼女から“救われた”と信じる雪藤は遥の能力をもっと多くの人に役立てたいという力に巻き込まれてゆく。
有名になった遥は、次第に組織化され、遂に≪コフリット≫という会員制の団体の代表にならざるを得なくなり、会社を辞めた雪藤は、世間から見れば新興宗教の教祖としかうつらない彼女を助けて奔走する。貫井徳郎の筆は、あくまで状況を粛々と描いているが、肥大化する遥をとりまく環境に突き進んでゆくその姿は、ある意味狂気を宿したかようでもある。
ストーリーは、≪コフリット≫がふたりの手の届かない部分で次第次第に大きくなってゆき、組織作りの経験者を名乗るいまひとつ心を許せない男の登場、若いスタッフたちとの軋轢などがあって、クライマックスの遥の講演会へと進んでゆく。そこで起こる事件が転機となり、結末に至るのだが、“救われた”と思っていた雪藤は、はじめて自らの立ち位置を自覚するのである。
本書は、特殊能力を題目にしたエスパー小説でもなければ、<新興宗教>を主眼に置いた社会派小説でもない。あえて言えば“救われる”とはどういうことなのかを世に問うた、貫井徳郎が抑えた筆致で切々と綴る人間ドラマの秀作である。