ニコライ堂は幕末にロシアから来日した僧正ニコライにより、正教会の聖堂として建てられたものです。明治24年の竣工で、原設計をロシア人シチュールポフが作成し、ジョサイア・コンドルが実施設計を行いました。正教会の聖堂に特徴的なギリシャ十字の平面をもち、中央には高さ35メートルにおよぶ八角ドーム屋根を掲げています。内部は中央部の四方に大アーチを架け、各隅からペンデンティブを迫り出してドームを支える、日本初にして最大級の本格的なビザンチン様式の教会建築です。ドーム下のオジーアーチの連続も目を引きますし、聖堂正面には正教会の特徴である装飾豊かなイコノスタシスを配しています。ただし、現在のドームや鐘楼などは、関東大震災後の復旧で当初の形状から変更されました。復旧設計を担当したのは岡田信一郎です。
保険会社のオフィス空間と1300席あまりの劇場からなる複合施設です。村野藤吾の設計で、昭和38年に竣工しました。ルネッサンス期の邸宅のような、柱や窓まわりに様式建築のディテールを施した外観も渋みがありますが、圧巻はやはり劇場内部の空間です。ガラスモザイクを張った壁、アコヤ貝で覆われたうねる天井面は、まるで生物の体内のような幻想的な空間で、非日常の雰囲気をたっぷりと味わうことができます。客席にいたるまでも、ホワイエはアールデコ然としたアルミの天井で構成され、ホワイエからロビーにつながる螺旋階段は空中を浮かぶようで、観劇の気分を高めます。時代は単純明快なモダニズム建築の全盛期でしたが、あえて時代の風潮に全力で逆らうかのような姿勢によって建物を真の名作とした、建築家村野藤吾の矜持がうかがえます。
三田綱町の広大な敷地に建つ、三井グループの会員制倶楽部。鹿鳴館や岩崎邸などの設計で知られるジョサイア・コンドルの作品として大正2年に完成しました。外観では、とくに庭園側の意匠に優れ、1、2階のベランダの中央部を曲面状に張り出し、軒の中央に円弧状ペディメントを立ち上げて円窓を飾るなど、バロック的な構成をみせます。構造は煉瓦造ですが、外壁にタイルを張り、白く清新な印象を与えます。内部の一番の見所は、吹き抜けのホールとステンドグラスをはめたドーム天井ですが、そのほかにも階段ホールの構成や、各室の優雅な室内装飾など見るべきものが多く、コンドル作品のなかでも内部空間の秀逸さが光る建物です。なお、ドーム天井をはじめとしたステンドグラスの図柄や、建物と調和した洋風庭園もコンドルの設計です。
武蔵野の現在地にキャンパスを移転したとき、全体計画はアントニン・レーモンドに委ねられました。レーモンドはキャンパスの配置計画から個々の建物の設計を行い、礼拝堂はその掉ちょう尾びを飾って昭和13年に竣工しました。デザインは、レーモンド自らがいうように、フランス人建築家、A.ペレーのランシーのノートルダム教会を模範とし、ゴシックの教会堂の構成をコンクリートの打ち放しで表現する、新たな作風に挑戦しました。手法的にはコンクリートの柱の間に、幾何学的な透かし模様のコンクリートブロックをいれ、そこにとりどりの色ガラスをはめるという、比較的単純なものです。しかし、この色ガラスを通した光がなんとも幻想的な雰囲気をつくり、ここにゴシックの象徴性と、モダンな幾何学の造形美を兼ね備えた、新しい表現が生まれました。
旧県庁舎は、山形出身の中條精一郎を設計顧問とし、大正5年に竣工しました。中央と両端部をやや前面に張り出し、中央に車寄せを突出させた、左右対称の厳粛なイギリス・ルネッサンスの建物です。しかし、目を引くのが、中央の寄棟屋根の上に載るチャーミングな時計塔で、これが建物の印象を幾分やわらかなものとしています。中央と両端部の屋根はマンサード屋根で繋ぎ、いずれもスレート葺きで要所にドーマー窓を開けます。壁は山形産の花崗岩張りですが、1階は基壇状に粗く積み、主要階である2、3階は整然とした平石積みとして、1階をグランドフロアとした英国風の造りです。付柱が3層を貫き、間に矩形の窓が整然と並ぶさまは、時計塔を除いてみれば極めて端正かつ紳士然とした建物です。様式建築の正統を継いだ、手堅い庁舎といえるでしょう。