インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

マンガは哲学する (岩波現代文庫)

価格: ¥945
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
Amazon.co.jpで確認
なぜ今この私が ★★★★★
 マンガは、世界を客観的な視点から描きながら、ある特定の人物の内面をも表すことができる。この大きな特徴を生かして、マンガから、「私とは何か」「世界とは何か」といったテーマに切り込んでいる。
 特に、いろいろなマンガに出てくる、「複数の自分がいる」というシチュエーションの分析から、問題は「なぜ、今、この私が私なのか」であると述べていく点を面白いと感じた。そこから、世界に対する懐疑、最終的には自分が生きている意味に対する懐疑まで、非常に自然に論が進んでいく。
 自分や世界の存在を何かリアルでないものに感じる人が増えているように思えるが、結局は自分の存在理由が分からないところから来るのか、と考えさせられる。
やはり哲学愛好者向けかも.. ★★★☆☆
この本の目的を、著者はこう記す。
  
  この本は二兎を追っている。マンガ愛好者には、マンガによる哲
  学入門書として役立つと同時に、哲学愛好者には、哲学によるマ
  ンガ入門書に役立つ、という二兎である。マンガ好きの方々には
  君たちはそれとは知らずにじつは哲学に興味を持っていたのだよ
  とぜひとも言ってみたかったし、哲学好きの方々には、その問題
  ははるかにポピュラーな形でもうマンガに表現されているのだよ
  と言ってみたかった。(P3)

私は、前者の側として読んだ。読んだことのある「伝染るんです。」
「ソムリエ」「クマのプー太郎」「ブラックジャック」「カイジ」等
が題材として、とりあげられていたからだ。


結果として、自分に馴染みのあるマンガから引き出された哲学は、そ
れでもなんとか理解ができた。しかし、読んだことのないマンガにつ
いては簡単ではない。やはり後者の側の人のための本のような気がし
た。私向きではないという個人的な理由で★3つ。
マンガに潜む狂気 ★★★★★
「私がマンガに求めるもの、それはある種の狂気である。現実を支配している約束事をまったく無視しているのに、内部にリアリティと整合性を保ち、それゆえこの現実を包み込んで、むしろその狂気こそがほんとうの現実ではないかと思わせる力があるような大狂気」。これは本書の前書きの一部ですが、これを見てピンと来た人なら、買って損しないと思います。マンガガイドとしても使えるし、読み物としても面白いです。

楳図かずお、諸星大二郎のファンの人には特におすすめです。「洗礼」「わたしは真悟」「子供の遊び」などが評論されています。諸星作品では本当は「夢の木の下で」を取り上げたかったのだが、本書の適切な場所に位置づけて評論する能力が私になかった、みたいに書かれてました。吉田戦車「伝染るんです」、松本大洋「鉄コン筋クリート」も絶賛されてました。他には、星野之宣「セス・アイボリーの21日」「ブルーホール」、萩尾望都「半神」、高橋葉介「壜の中」などが取り上げられています。
不思議な漫画作品の深い読み方 ★★★★★
ここにとりあげられている作品群は、「寄生獣」や「自虐の歌」といった大作や藤子・F・不二雄や手塚治、永井豪といった大家の作品を除き、漫画を物語として読む私にとっては「こんな訳の分からないバカバカしい話のどこがおもしろいんだ」と思われるものが大半である。「こんな面白くない漫画がなぜ商業漫画誌に掲載されているのか?」といつも疑問に思っていた。しかし、作者の無名・有名を問わず、こういう一見「無意味」な作品はなぜか商業漫画誌に掲載され続けるのである。

その意味がやっとこの本を読んで解った。

著者は言う。「私には、現存するある特定のマンガ作品に依存しないでは、うまく表現できない特殊な哲学的な問いがあったのである。とにもかくにも、それを人にわかるような仕方で表現してみたい−それがこの本を書いた私的な動機である。・・その哲学的な問いとは、ひとことでいえば、世界というものを「中心化された世界」と見る、ということである。p.234」「私の根本問題とは「私とは何か」ということである。それはすなわち「何から何まで私と同じ人がいたら、そいつは私か」ということでもある。そして、もしこの問いに否定的に答えられるとすれば、現実世界は科学や常識が描くところに反して、本質的に中心化された世界というあり方をしていなければならないことになるのだ。同じことは、いまとは何か、という問題についても言える。何から何までいまと同じ状態が実現したら、それはいまなのであろうか。私は、このような問いを考え抜くことで、世界の存在と私の存在の鍵が解けるかもしれない、という淡い期待をいだいて自分の仕事をつづけている人間である。p.235」

つまりこうした漫画は、私がいつも目を背けていたい哲学的な「問い」を私に向けているのだ、だから、自らを啓蒙することを避けて楽な道を歩きたいと思っていた私にとっては、こうした漫画を読むことは不快だったのである。

吉田戦車やしりあがり寿といった絵が奇妙な漫画家のおもしろさがやっと解かった。これからはこうした漫画家の作品もおもしろく読めるだろう。

それにしても、「何から何まで私と同じ人がいたら、そいつは私か」という問いは私もいつも悩んでいた問いである。永井先生のこの後の著書を読んでみたくなった。
サブカルチャーとアカデミズムの融合 ★★★★★
 これほど楽しい哲学入門書はない。
 数あるマンガ作品の中から哲学的なテーマを扱っていると思われるものをピックアップし、哲学者永井均がその解説をしてくれる。対象となるのは藤子・F・不二雄から吉田戦車まで多種多彩であり、若い読者には少々古く思われるのかも知れないが、いずれもスタンダードな作品ばかりである。それぞれの作品のコマが引用されているので、未読でもその雰囲気を感じることができるし、マンガの入門書(ガイドブック)として読むことももちろん可能である。
 マンガは小説などよりも哲学的であるという永井の見解には全く同感であるし、その理由として「マンガは子どもが読むもの」という社会通念が破天荒な発想を許しているのではないかという指摘にもうなずける。しかし本書の発売当時(オリジナルは講談社SOPHIA BOOKS)一番驚いたのは、アカデミズムの世界で生きている哲学者永井がこのような本を出したという事実であった。破天荒な哲学者永井らしいと言ってしまえばそれまでだが、大学教授がこのような本を出すのにはかなりの勇気と決断が要ったはずである。読者サイドとしても、買うのに躊躇したおカタい哲学ファンも中にはいたのではないだろうか。
 そういった意味でも今回の岩波現代文庫への移籍には価値がある。あのおカタい岩波書店でさえも一見ユルそうに見える本書の哲学的意義を認めざるを得なかったのだろうと思うと痛快である。最近岩波書店からの発売が多いようであるが、願わくば自由奔放な永井哲学が岩波書店というよくもあしくも硬派な鎧を着せられて縮こまらないことを。