若きメータの殿堂
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マーラーの「復活」は、作曲者の若き頃の傑作であり、思想的にも今後の核をなす原点がこの交響曲に刻印されている。ユダヤ教徒の家系として生まれたマーラーであったが、その信仰はキリスト教であった。彼の思想形成にもキリスト教が本質的な役割を果たしていることは疑いない。前作の「巨人」とこの「復活」は思想的に連関している。「巨人」は英雄の喜劇を描いたものだったが、「復活」は英雄の悲劇を描いたものである。「巨人」では、キリスト教思想がその中心主題となってはいない。自然と人間の織りなす世界を主題としたものであった。一方、「復活」はクロプシュトックの詩を歌詞として使用している点からも、人間と神を主題としている。すなわち、英雄は現世で苦悩し、現世の虚しさを知る。来るべき楽園に備えて、死を憧憬し、そして復活を待望する。このキリスト教終末論は、おそらくマーラーも自身の境遇と照らし合わせ、共感する部分が大いにあったろう。マーラーは決して生き易い性格ではなかったようである。それゆえ、キリスト教思想を主題としてはいるが、客観的に復活を描いたものではない。第四、第五楽章は、ハンス・フォン・ビューローの死が起因となったようであるが、交響曲の内容は主観的要素が強い。さらに、ベートーヴェンの第九交響曲の影響もおそらく考えられるが、それともまた思想的に異なっている。第九交響曲は人類を神の御前において一つに結びつけるという共同体を念頭に置いた内容のシラーの詩を基としていたが、「復活」では、一人ひとりの復活を扱っている詩を使用している。マーラーの交響曲は、この後も共同体思想を主題としたものは現れない。大管弦楽、大合唱を伴う作品は存在するが、やはり主観的である。マーラーの音楽は本質的に主観的なのである。
この「復活」の名演奏というと、メータとウィーンフィルのこの演奏が現在でも筆頭に挙がる。内部に熱い魂をたぎらせ、外面は実に調和の取れた美しさがあるかけがえのない名盤である。メータはインド出身の指揮者であり、ユダヤ人ではないが、熱烈な親ユダヤ、親イスラエル主義者であるそうである。。そのメータが若い頃に録音したこの演奏は、実に瑞々しく、力強く、情熱的である。ウィーンフィルもこの頃まで実に素晴らしい音を奏でていた。メータの思想的背景が演奏に与えた影響は分らない。されど、この曲に対し並々ならぬ想いで挑んだことは推察できる。結果として、このような殿堂が後世に伝えられることになったのは幸いであった。ゾフィエンザールでの名録音もこの演奏を引き立てている。