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ネグレクト―育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか (小学館文庫)

価格: ¥580
カテゴリ: 文庫
ブランド: 小学館
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他人事ではない ★★★★☆
ネグレクトはやはり他人事じゃないってリアリティをもって再認識できた本。
紙一重のところで踏みとどまっているだけで、自分自身もそうなり得る可能性は大いに孕んでいる。「自分さえ我慢すればどうにかなる」という思考パターンや「他人に甘えたり相談したりするのが苦手」とか、この母親の心理状態と重なる部分が確実にある。

児童相談所などの公的なシステムの不充分さにも愕然とした。
ネグレクトは大きな社会問題だし、その場しのぎな解決策や冷淡な批判じゃ解決できない。

最近の度重なる虐待事件を見て、「だから若い親はだめだ。」とか「親として考えられない」とかコメントしている人たちには是非読んでもらいたい。
悲しい虐待の連鎖 ★★★★★
 『虐待』が、当事者達だけでは抜け出せない深い闇だということがよく分かる。真奈ちゃんの両親も虐待を受けて育ち、その親もまた・・という状況で、この両親の周りには育児の手本となる人は誰もおらず、育児の正しい知識や子供との関わり方を知る術はなく、常識もなく、間違いを間違いと気付く事も出来ない。

 この事件で本当に残念なのは、何とかこの親子の力になりたいと思う人たちが周りにいながら、不幸な行き違いの連続で最悪の結果になってしまったこと。決して周囲が無関心であったわけではない。虐待を疑いながらも、今一歩踏み込めずにいる間に取り返しがつかなくなってしまった。

 骨と皮だけになった真奈ちゃんが汚れたダンボールの中で3歳の誕生日を迎え、絶望の中で息を引き取った様子を思うと涙が止まらない。どんなにお母さんに抱いて欲しかっただろう。笑いかけて、優しい言葉をかけて欲しかっただろう。

 刑を終えてこの両親が下の子供たちを引き取ったとき、虐待の連鎖は断ち切れているのだろうか?真奈ちゃんの弟妹には引き継がれない事を祈ります。
許せない!! ★★★★★
許せない。
このひとことにつきる。
だが・・・この若い母親は実に孤独だったことも否めない。
難しいこと言いたいことたくさんあるけれど
根本には日本の教育(性に関するあるいは命に関する)のあさはかさ
そしてプライバシーを重んじるがばかりに薄くなっていく人間関係。
(地域・学校・行政など)
このような事件は氷山の一角でたくさん埋もれているのではないのでしょうか。
そう思うと早く少しでも早く幼い子供達を救っていかなければ!という気持ちに
なる・・・何からはじめたら・・・と焦ってしまうほどだ。
多くの人に読んでもらい
事件の背景にある深い深いものから
理解していって欲しいと思う。
この事件の背景はあまりにも闇が深い。
そして報道機関も事件の表面だけをクローズアップしすぎているところを
もう一度見直すべきだと思う。
こういった事件の背景は必ずしも若い親とか再婚だとかではなく
世代を超えての問題点が多すぎたりするのであった。

とても考えさせられる1冊でした。
実在の児童虐待事件に多面的に挑んだ良書 ★★★★★
2000年12月、3歳になったばかりの女の子がミイラのようになって亡くなった。
その直接の原因は、両親による育児放棄(ネグレクト)だった。

両親の非は明らかだ。だが両親だけを責めれば済むことか?
本書を読み進める内に出てくる答えは"No"だ。
加害両親自身も極めて辛い子ども時代を過ごしており
大人になってからも周囲の思惑に振り回されて、
自分の意思や判断というものを持たない大人に成長してしまっている。
それには何人もの人間が関わり、地域社会が関わり、日本社会が関わっている。
そこまで踏み込んで考えなければ恐らく児童虐待はなくならない。
これが私が本書を何度か読み返して出した、自分なりの答えだ。

本書を単なる事件の詳述に終わらせず、読み応えのあるものとしているのは
人物の内面まで丁寧に踏み込んで取材して描き出す杉山氏の能力だろう。
事件の起きた近所の住民、児童相談所の職員、
そして父親の無関心や母親の焦りを非常な説得力で描写する。
だからこそ本書はきわめて優れたルポルタージュになりえたのであり、
読者にも「児童虐待は残酷!許せない!」で終わらずに深く考えるきっかけを与えうるのだ。
私はハード・カヴァーで読んだが、文庫化される程の反響を呼んだのがその証拠だろう。
加害者の親の更にその背景・・・ ★★★★★
本書はネグレクト(育児放棄)の末、餓死した幼い女の子の事件を丹念に取材したノンフィクション
ルポですが、育児放棄、虐待、というとすぐに「鬼母」とか「未熟な親」とか短絡的に親を責めがちな
風潮の中、
「なぜこの両親は育児放棄の末 餓死という無残なことをわが子に行ってしまったのか」
という、親の「背景」、周囲をとりまく環境を丹念に追った点が優れていると思います。

誰しも、子どもを「産んだ」からといって自動的に「母性」が全開になる訳でも速攻で「親」になれる
訳でもない。
それを支える周囲(親、親戚や社会(ご近所や保健所や医師の対応など))の暖かいまなざしがあってこそ
親も一歩一歩稚拙ながら親として成長していくのだと思います。
この事件では、孫の誕生を喜びこそすれ「面倒なこと」は避けたがる親族、苦しみを一緒に分かち合う
ことのできない夫婦、親子、という不幸な環境が、加害者を追い詰めていったその背景が、背筋が凍る
くらいに伝わってきます。

少子化対策が叫ばれる今、その割には孤独で一人ぽっちで育児を背負わなければならない母親の辛さ、
保育園の待機児童の問題、一時保育(リフレッシュ保育)すら予約が一杯でかなわない現状、電車、バス、
街中で幼子を連れて歩く不自由さ、周囲の迷惑そうな目・・・
そういう「社会」の感覚から変えていく必要があるのではないでしょうか。